むかし、むかし。
静岡県藁科川の上流にある日向の里に、千代という名の、それはそれは、かわいらしい姫君が暮らしていた。
両親に深く愛されて何不自由なく育った千代姫だったが、十八歳になると、そろそろ婿の相手を見つけねばという親の心配をよそに、急に床に伏してしまった。
「これこれ姫や。おまえは、どうしてそんなにつらそうな顔をしているのだね?いったい、どこが悪いというんだい?」
心配で問いかける母に、千代姫はほほを赤らめてこう答えた。
「毎夜、わたしのもとにひとりの若君が来られます。楽しいおしゃべりをいっぱいして、わたし、そのお方が好きになってしまいました」
姫の容態の原因が初めての恋にあると知った両親は、なんとしてもその若者を探し出そうとしたが、若者は、姫に名を明かさず出身地も言わなかったので、いっこうにその正体はわからなかった。
そこで一計を案じて、ある夜、姫に一本の麻糸を若者の着物にこっそりぬいつけさせた。
何も知らずに帰途に着いた若者を、糸を頼りに追ってみると、藁科川の向こう岸にある大きな杉の木にたどり着いた。若者は、太古からそこに住み着く大杉の木霊だったのだ。
これを知った父は、悪霊を屋敷に呼び寄せたとたいそう怒り狂い、村人に命じて大杉の木を切り倒させたばかりか、とうとう気まで狂って、かわいがってきた千代姫を切り倒した杉で作った丸木舟に乗せて川へ流してしまった。
「母さま、母さま!」
泣きさけぶ姫を見ておどろいた母も、井戸端にあったたらいに乗って川へとこぎだした。
「千代や!千代姫や!」
けれども、川の流れは速く、母と娘を乗せたたらいと丸木舟は、無残にもそれぞれ川の渦に飲みこまれて二度と浮き上がることはなかった。二人が沈んでいったところには、不思議なことに、上流から流れてきた岩が次々と積み重なって、こんもりとした二つの丘ができた。
やがて、月日とともに丘には木々が生え森となり、村人たちは、亡くなった母娘をしのんでそこに墓標を立ててとむらった。
そうして、千代姫が沈んだところにできた森を「船山」と呼び、母の沈んだところにできた森を、波間に消えていく娘を恋こがれたという意味から「こがれしの森」と呼んだ。
現在、藁科川にある「木枯らしの森」は、この「こがれしの森」がなまったものだという。
船山と木枯らしの森には、哀れな母娘をしのぶかのように、今も墓標が残されている。