夕立あがり

今日は、とにかく暑い一日だった。

もうすぐ長い夏休みがはじまるし、年に一度の花火大会はあるしで、授業を終えた教室の中は、少し浮き足立った感じがする。

夕子も、この季節が好きだった。

夏。

人は、生まれた季節を好きになるものだと、だれかから聞いたことがある。だからかもしれない。

夕子の誕生日は、八月十五日だから、夏休みのまっただ中だ。来年からは、受験生。試験勉強やら夏期講習やらで、あまり夏休みだの花火大会だのと言ってられないから、今年は、思いっきり夏をマンキツするのだ。うふふ・・・。

となりの席のヨリちゃんは、そんな夕子のハッピーな気分などまったく無視して、あいかわらず大好きな読書にいそしんでいる。

このヨリちゃん、中里依子というのだが、「ヨリちゃん」などと気安く呼べるのは、クラスの中でも夕子くらいのものだ。べつにとっつきにくいわけではないのだけれど、ふだんからほとんど笑わないし、口数だって、夕子の十分の一くらいだ。

それでいて目つきが少しするどくて、かわいいというよりは美しい顔立ちだから、一部の男子の中には、ほのかに思いを寄せる者があったとしても、女子の間では、あえて友達になろうとする子はいなかった。山口夕子、ただひとりをのぞいては。

夕子は、なぜか依子と気があった。一方的にそう思っているだけかもしれないが、依子に話しかけることを、夕子は、いやだと思わなかった。依子は、クラスでもいちばん成績がよかったから、何かと勉強を教えてもらえるし、本をたくさん読んでいたから、彼女の話は、いつもためになった。

同じクラスになったのは、今年度がはじめてだ。それなのに、もう何年も前から友達だったような気持ちが、夕子にはあった。

ふしぎよね。

夕子は、思う。あまり感情というものを持っていないように見える依子のことが、夕子には、だれよりも人間らしく思えるのだ。

 

×    ×    ×

 

高崎市立第二中学校は、町の南のはずれの小高い丘の上にある。野球部と剣道部が有名で、とくに、野球部は、昨年の県大会で優勝した経歴を持つほどの強豪だ。

夕子は、吹奏楽部に所属していて、これまた、なかなかのレベルであると評判の部活だったが、その分、練習のきびしさも半端ではない。

何がきびしいといって、吹奏楽部が練習場所に使っている離れ校舎の音楽室の暑さほど、つらくせつないものはなかった。音楽室は、まともに西日を受けるところにあって、しかも、いつだって閉め切ったまま。学校は住宅街のまん中にあったから、窓を開けて思いっきり楽器を吹き鳴らすわけにはいかないのだ。

幸い音楽室にはエアコンが完備されていて、蒸しぶろになることだけは避けられたが、設定温度は、省エネだかなんだかで常に三十度。ほとんど意味がない。

「よし、本日はここまで!」

顧問の本田先生のかけ声で、ようやく今日の練習が終わった。

夕子の担当は、フルートである。二時間の練習で、のどはカラカラ、これは、もう、一刻も早く家に帰って冷蔵庫のコーラをグビグビやるしかない!

そそくさと楽器のかたづけをして校庭に飛び出すと、校門のところでだれかに呼び止められた。おどろいたことに、相手は、依子だった。

「あれ?どうしたの、ヨリちゃん?」

 夕子は、立ち止まって小首をかしげた。依子は、ジーンズにTシャツという出で立ちだ。どうも、一度帰宅してから、学校へもどってきたらしい。

「これ、うちで作ったんだけど、母さんがあなたに持っていきなさいって」

「なあに?」

 依子が手にしていたのは、ラップに包まれた透明なガラスのボールで、中にはポテトサラダがもられていた。

「わおっ、おいしそう!」

「ポテトサラダ、好き?」

「好き好きっ、だ~い好き!」

 自分からたずねてきたくせに、夕子がうれしそうな反応を見せても、依子は、無表情。まあ、これはいつものことだから、べつに気にすることはない。

「このために、わざわざ待っていてくれたの?」

「・・・・・」

 無言ながら、依子がコクリとうなずくと、夕子は、しだいにこみ上げてくる笑みをこらえきれなくなってしまった。

これって、けっこううれしいことかもしれない。ヨリちゃんが、わたしのためにおすそわけを持ってきてくれた。あのヨリちゃんがである。

「ありがとう!家に帰ったら、すぐに食べてみるね」

 ボールを受け取って夕子がにっこり笑うと、さすがに依子も目をパチパチさせて、なんとなくほほ笑んでいるような顔をした。

 二人は、歩きはじめた。日が西の山間へ落ちたといっても、まだまだ、大気は、じめじめとした熱気をためこんでいる。ふつうに歩いているだけなのに、額に汗がにじんでくるくらいだ。

「暑いよねえ。まるでサウナみたいだね」

「ん」

「音楽室なんか、もう最低!灼熱地獄なんだから」

「ん・・・」

夕子と依子の間に、ふつうの会話は、あまり成り立たない。夕子が一方的にしゃべって、依子がうなずくだけ。そんな二人なのに、なぜ、おたがいを近くに感じるのだろう。夕子は、今も勝手気ままに話を続けながら、そんなことを考えて、ふとおかしな気分になった。

「いいなあ、ヨリちゃんって。勉強はできるし、顔はかわいいし。わたしも、そんなふうに生まれてたらよかったのに」

 夕子が言うと、「ん・・・」しか言わなかった依子は不思議そうな目を上げて、それから、すぐにうつむいた。

「そんなことないよ」

「そんなことあるわよ。わたしから見たら、ヨリちゃんなんて雲の上の人だもん」

「わたしも、同じように思うよ。あなたを見てると」

「え?」

「うらやましいなって・・・」

 依子は、そこで口をつぐんだまま、それ以上、話を続けようとはしなかった。それは、いつも無口な依子のあたりまえの姿にも見えたが、どこかがふだんとはちがっていた。

(うらやましい?わたしが?)

 夕子は、心の中で首をかしげた。今まで、人からうらやましがられたことは、一度もない。勉強もスポーツも人なみ程度。何をやらせてもふつう人間の夕子なのだ。それなのに依子は、うらやましいと言う。

「えっと、あの・・・」

なんて言葉を返せばいいかわからなくて、夕子がとまどっていると、

「もうじき、花火大会だね」

依子は急に話の矛先を変えた。彼女の視線は、通りすがりの町内会の掲示板に向けられている。そこには、浴衣美人が笑っている花火大会のポスターが、大きくはりだされていた。

夕子は、びっくりした。依子が花火大会のことを口にしたのは、これがはじめてだ。町のはずれにある尾根川の花火大会は、地域活性化を目指してはじめられたこの町いちばんの行事で、学校の中にさえ同じポスターが掲示されている。クラスのみんなは、今年はだれと行こうか、服は何を着ていこうか、やっぱり浴衣を着ていきたいとか、そんな会話で盛り上がっている。

けれども、それらの会話の輪の中に絶対に入らないのが依子だった。去年、依子と同じクラスだった子の話では、彼女は、人いきれのする場所が大きらいなのだという。だから、さすがの夕子も、今年の花火大会に依子を誘おうとは思っていなかった。だって、そんなことをしたら、依子は、ムッとした表情をするにちがいないから。

「花火、好きなの?」

 夕子は、おそるおそる聞いてみた。自分から言い出したくらいだから、むげな答えが返ってくるとは思えなかった。実を言えば、夕子は、花火大好き人間で、尾根川花火大会は、彼女にとってクリスマスや正月よりもワクワクする一大イベントである。その一大イベントに依子と行けたら、どんなに思い出に残るだろうか。一瞬の期待がふくらんだが、その直後、

「花火は好き。でも、花火大会はきらい」

と、まるで感情のこもっていない声で依子は、さらりと言った。撃沈である。

「そう、大きらいだわ」

がっくりとへこんでいる夕子をチラリと見やって、依子は、とどめの一撃を刺した。まるで容赦というものがない。

夕子は、やっぱりだと思った。やっぱり、依子に花火大会はそぐわない。話をふっておいて、あんまりだ・・・。浴衣を着せたら、ほかのだれよりもかわいいと思うのに。

(花火大会には、だれかべつの人を誘おう・・・)

 夕子は、うなだれたまま、こっそりとそう思うしかなかった。

会話が途絶えて、いつも、最後は静かにわかれる。夕子が「さよなら」と言うと依子も「さよなら」と返すだけ。この日もそうだった。

 夕子は、両手に抱いたサラダボールから視線を上げて、立ち去っていく依子の背中を見守った。そして、思った。

(何かあったのかしら?)

依子のうしろ姿が、なんとなくさみしそうに見えた。どこかで豆腐屋のラッパが鳴っている。シリアスな気持ちを無視して、おなかの虫が、グウッと鳴った。

 

×    ×    ×

 

夏休みまで一週間となった。

あいかわらず、教室はさわがしいし、外ではセミたちが、ミンミン、シャンシャン鳴いている。まったく、夏ってにぎやかだ。毎日が、どことなくお祭り気分である。

その日、授業を終えた夕子が、教室で部活に行く準備をしていると、すぐとなりから何人かの女子たちのかん高い声が聞こえてきた。

「え~っ、じゃあ、中里さんって高校行かないの?」

「まだ、うわさだけどね。この前、ミーちゃんが、職員室で中里さんと先生が話してるのを聞いちゃったんだって」

「あの子、頭いいのにねえ。もったいない」

いつもかたまっておしゃべりしている、夕子のクラスメイトたちである。彼女たちにかぎらず、男子もふくめたクラスの全員が依子のうわさ話をしたがるのは、いつものことだった。依子には、得体の知れないところがある。だから、あれやこれやと勝手な憶測をならべたてて、彼女をクラスの中のしかるべきポジションに落ち着けたいのだ。そこには、頭脳明晰、何をやっても難なくこなす依子への、明らかなやっかみがある。

「ねえ、夕子は、どう思う?」

突然、話をこちらにふられて、夕子はギクリとした。こういうとりとめのない話には、あまり、かかわりを持ちたくない。

「え?何のこと?」

「もう、とぼけないでよ。中里さんのことよ。あの子が、高校へ行かないって話」

「行かないじゃなくて、行けないんだそうよ。金銭的な理由で」

「今時、はやんない話ねえ」

夕子の一言に対して、各々が勝手にまくし立てる。夕子は、どう受けこたえしていいか、わからなくなってしまった。

「夕子なら知ってるんじゃないの?あの子が高校へ行かない本当の理由」

「そんな・・・、わたし、あまり、ヨリちゃんのこと知らないから」

「ええ~っ、だって、夕子が、いちばん、仲がいいじゃない」

「そうかもしれないけど、ヨリちゃん、自分のことは、まったく話さないもの」

それは、本当だった。依子は、もともと無口なたちだが、とくに、自分の家庭のことについては、いっさいを話したがらない。夕子も、あえて、聞いてみたことはない。それが、依子と友達でいるためのルールであるような気がしていたからだ。

「あ~あ、夕子にわからないんじゃ、わたしたちにわかるわけないっか・・・」

みんなが、つまらなそうにため息をついた時だった。夕子は、教室の窓の向こうのろうかに依子がいるのに気がついた。

びっくりした。依子は、立ち止まって半開きになった窓からこちらを見ている。その目は、するどく夕子を射ぬいていた。

「ヨリちゃん・・・?」

夕子がつぶやくように口を開くと、依子は、サッと視線をそらして行ってしまった。あとに残された少女たちの顔が、こわばった。

「今の聞こえてないよね?」

「・・・だいじょうぶでしょ?そんなに大声で話してたわけじゃないし」

みんなは、口々に言いあったが、それきりだまりこんでしまった。夕子も、同じだった。

依子は、今の自分たちの話を聞いていた。それは、まちがいない。だとしたら、彼女は、今の会話をどう受け止めただろうか?ううん、わたしのことを、彼女はどう思っただろうか?人のかげ口をたたく、いやな人間だと思っただろうか?

 サアッと血の気が引いた。わざわざ、ポテトサラダを作って持ってきてくれた依子。わたしのために・・・。そう、わたしのために何かをしてくれた人に対して、わたしは、なんてことをしてしまったんだろう。

交通事故にでもあってしまったような、くやしい気持ちだった。けれども、後悔したところで今さら何もはじまらない。せっかく、依子と本当の友達になれそうな、そんな予感があったのに・・・。

 

×    ×    ×

 

帰り道は、夕闇だった。正確に言うと、分厚い雲が空をおおっていて夕闇のように暗くなっていた。夕立が来る。ここのところ、ほとんど毎日だ。

夕子は、チラチラと空模様を見上げながら、家路をたどっていた。重い足どりだった。

けれども、天気は、落ち込んでいる夕子の気持ちなどおかまいなしである。ふつうに歩いていたのが、しだいに早足になり、とうとうかけ足になった。さあっと風が吹き、その風は、冷たく湿っていた。

(やだ、急がなくっちゃ・・・)

やっぱり、かさを持ってくるべきだった。でも、朝になると、クマゼミがシャンシャンと景気よく大合唱をし、空は深く青く、雲はまっ白だから、つい雨なんてふらないやと思ってしまう。けれど、そんないかにも夏らしい朝だから、来るんだよね。夕立って。

しばらくして、ポツリポツリと大粒の雨が落ちはじめた。焼けたアスファルトの道に大きなまるいしみがいくつもでき、ぬれた草のにおいが、ぼんやりと香った。

「ああ、ふってきた!」

思わずぼやいて、持っていた黄色い手さげかばんを頭の上に乗せる。雨足は、みるみる強くなり、やがて雷まで鳴りだした。空全体が、ぴかりと青白く光る。もう、無理だと思って、近くの家の軒先を借りて雨宿りした。

ポケットからハンカチを取りだして、ぬれた髪や肩をぬぐっているうちに、となりに人がいることに気がついた。あんまり風景に溶けこんでいたものだから、びっくりして、「ひゃっ」と悲鳴をあげそうになったが、相手の顔を見てすぐに安心した。夕子と同じく、そこで雨宿りしていたのは、依子だったからである。

「ヨリちゃん!もう、びっくりしたあ」

夕子は、思わず大声をはりあげてしまった。おかしくなってアハアハと笑ったが、依子は、例によって無表情を決めこんでいる。

「夕立だね」

あたりまえのことを、あたりまえのように言った。それが、なんだかおかしかった。

こんなふうに二人の下校時間がいっしょになったのは、はじめてだ。依子は、茶道部という古風な部活に入っていて、活動時間も短かったから、吹奏楽部で毎日遅くまで練習をしている夕子より、いつも早めに帰宅する。だから、こんな時間まで何をしていたんだろうと夕子が思っていると、

「学校にいたんじゃないわ。買いものをしていて遅くなっただけ」

依子は、先まわりするように言った。

たしかに、依子は、夕子のものと同じ学校の手さげかばんといっしょに、スーパーの白い買いもの袋を持っている。依子とスーパーの買いもの袋。これほどミスマッチな組み合わせは、ほかにない。

「うち、母親が遅くまで働きに出ているから、食事は、わたしが作るの」

依子の言葉に、夕子は、目をまるくした。

「作るって、ひとりで?」

「そう」

「家族の分もみんな?」

「もちろんよ」

依子は、おかしそうに目を細めた。笑ったというには、あまりにもそっけない笑みだったかもしれないが、教室での事件があったばかりことだったので、夕子は、強く依子の横顔に引きつけられた。

そう言えば、彼女には、小学生の弟がいるとだれかから聞いたことがある。父親は、どうしているのだろう。どういうわけか、それをたずねるのは、なんとなくためらわれた。

雨が強くなっていくのと比例して、風も横なぐりになっていった。軒先にいても、足もとの方から湿った空気が吹き上げてきて、全身をぬらしていく。あきらめてぬれて帰ろうかと考えなくもなかったが、一歩前へ足をふみだせば、嵐のような土砂ぶりなので、結局は、思い切りができなかった。そうして、しばらくたった。

夕子は、依子にさっきのことをあやまらなければともじもじしていた。これは、天が恵んでくれた絶好の機会だ。けれども、いよいよ、夕子が意を決して口を開きかけた時、依子は、突然言った。

「・・・わたし、明日から学校、行かないかもしれない」

言葉を聞きまちがえたのかと思った。夕子は、体の中から全身がくすんでいくような不安を感じて、依子の横顔を見入った。

「何、言ってるの・・・?」

依子は、顔を上げて、黒い雲が低く高くかき乱された空を見つめている。ひとみが、うす青く蜃気楼のように光っていた。

「学校行きたくないの。みんなに見られるから」

「・・・・・」

依子の言葉に、夕子は、背筋にピーンと緊張が走るのを感じた。やはり、彼女は、みんなの勝手なかげ口に傷ついているのだ。

「ごめんね、さっきのこと」

「さっきのこと?」

「みんなでうわさ話してたでしょ。ヨリちゃんのことで・・・」

「ああ、だって、あなたは何もわたしの悪口を言ってなかったじゃない」

依子は、思いがけずあっけらかんとした様子だった。それでいながら、どこかに人を寄せつけない緊張感をまとっていた。夕子は、少しだけほっとしながらも、依子の沈んだ横顔に視線を投げかけた。

たしかに依子は、いろんな人から少し変わった子として見られていた。勉強だってできる。問題行動をおこしたことなど一度もない。悪いところなどひとつもないのだけれど、それでも、人はうわさする。あの子って、わけありなんだよねって。そのわけありのわけが、夕子には、さっぱりわからないが、どうやら、家庭環境のことを言っているらしい。

けれども、夕子は思うのだ。家庭環境がふつうとちがうからといって、依子が、変わっていることにはならない。ううん、そもそもふつうって何?何がどうなれば、ふつうなの?

「だれかから、何か言われたの?」

夕子は、ためらいがちに聞いてみた。依子は、ハッとしたようにこちらへ顔を向け、

「うん、ちょっとね」

小さな声でうなずいた。

「なんて言われたの?」

「・・・うす気味悪いって。ほかの人とちがいすぎて、人間じゃないみたいだって」

「ひどい!何よ、それ!だれがそんなこと言ったの?」

「もういいの。本当のことだもん・・・」

依子は、力なくうなだれた。こんな依子を、夕子は見たことがない。学校では、いつもまじめで無口できりっとしていて、何ひとつ落ち度がない依子なのだ。なぜ、こんな子が、人から悪く言われなければならないのだろう。

「あなたが人間じゃないんなら、わたしだって、人間じゃないわ。だって、ほかの人とちがうところいっぱいあるもん」

夕子は、自分の言葉に力をこめた。

「たとえば、ハミガキは、必ず二回しないと気持ち悪いし、ハンバーグ大きらいだし、カラオケで歌を歌うのもきらい」

「・・・・・」

「まだまだ、あるわよ。サッカーきらいだし、ゲームきらいだし、メールも大っきらい。・・・ああ、わたしって、きらいなものばっかり・・・」

勝手にまくし立てて、勝手に落ちこんでいる夕子を、依子は、ポカンと口を開けて見ていた。そしたら、急に笑いだした。さっきの時とはちがって、本当に心から笑った。

「夕子ちゃんて、おもしろいわあ・・・」

「ね?だから、ヨリちゃんは、いたってふつうなのよ。わたしが言うんだから、まちがいない」

自分でも何を言っているのかわからなかったけど、とにかく、依子が笑ってくれたのでよしとした。依子が元気になってくれたのなら、それでいい。だって、わたしが依子のことを親友だと思っているという一点は、だれがなんと言おうと真実なのだから。

気がつくと、雨が少し小ぶりになっている。遠い東の空に雲の切れ間があらわれ、西からも太陽の光がいくつかのすじとなって差した。

きれい・・・。これだから、夕立は好きだ。はげしい雨と風のあとにおとずれる、静かなすずしい風。それは、引き止めたくても引き止められない、真夏の一瞬の情景。

「やっぱり、明日、学校へ来ないつもりなの?」

夕子は、少し緊張しながら聞いてみた。夕子だって、自分の言葉くらいで依子の気持ちを変えられるとは思っていない。依子が、学校へ行かないなどと発言するのには、まだまだ、他人にはわからない深い理由があるはずなのだ。

「ん・・・わからない」

それでも、依子は、そんなふうに言った。わからないということは、来ないかもしれない。でも、来るかもしれない。

「どうせなら、あと数日がまんすればいいじゃない。そしたら、一ヶ月以上は、学校に行かなくたって、だれからももんく言われないから」

夕子は、すでにポツリポツリとしかふっていない雨に、かばんを持っていない方の手をかざして言った。

「それって、夏休みってことじゃない」

「そうよ。だから、わたしは、正々堂々と不登校児になるわ」

夕子が胸をはって宣言すると、依子は、口もとを押さえてクスクスとふきだした。夕子も笑った。そして、思った。

やっぱり、今度、花火大会に依子を誘ってみよう。彼女にあわせて、人ごみを少し避けたところで、いっしょに花火を見つめよう。

夜空をいろどる無数の発光。遅れてやってくる小さな炸裂音と、どよめきにも似た歓声。祭り特有の威勢のいい熱気は、感じられないかもしれない。でも、遠くから二人きりでながめる花火は、とても美しいだろう。

 

雨はやんだ。夕立あがりのぬれた路面を、夕子と依子は歩きだした。水たまりに、波紋にゆらめく二人の影が映る。かなかなとヒグラシの声が、どこからともなく伝わってきた。

ふと、道ばたを見ると、すだれに巻きついた夕顔が花を咲かせている。うすい紫の花びらに、軒先から落ちた透明な水玉が、ぴんっとはねた。