キムの十字架 松代大本営地下壕のかげに

著者:和田登 絵:和田春奈(しなのき書房)

太平洋戦争末期、敗色濃厚な日本は、来るべき本土決戦に備えて、大本営を長野県の松代町に移転させようとしていた。

山をくりぬいた巨大な地下壕建設のために朝鮮半島から強制的に連れてこられたジェハとセファンの兄弟が、本作の主人公である。

物語の導入部は、弟のセファンがたまたま拾った聖書によってキリスト信仰へと傾倒していくところから始まるが、やがて、そのことを心配する兄ジェハの視点となり、激動の混乱に巻き込まれていく二人の姿を迫真の文章でつづっていく。

途中、親元から引き離され重労働を強いられていた十四歳の中野少年の死に遭遇するが、この少年も日本名に改名させられた朝鮮半島の出身者である。

落盤に巻きこまれて突然の死を迎える彼の姿は、あまりにも痛ましく、まだまだ親元が恋しかったはずの彼の胸中を思うと、言葉に表せない無念を感じる。

物語の終盤、ジェハは、日本の敗戦によって誰もいなくなった地下壕に入って、けんめいに十字架を彫りはじめる。

キリスト教徒ではない彼が、なぜ、十字架を彫るに至ったのか。

この作品は、1983年にほるぷ出版から発刊されたものですが、その後、何度も他の出版社からも刊行され、今回、細かな修正を加えた上で、しなのき書房から決定版として出版されました。

そこには、かつて日本が行った残虐な戦争の真実を風化させてはならないとの、作者の強い思いがあふれています。

現在でも、ウクライナをはじめ、世界中のいたる所でむごたらしい戦争は続いています。

日本の周辺にも、いつ戦争がはじまってもおかしくない状況があることは、否定できない事実です。

人は、なぜ争いをやめようとしないのか?

どうして、他者の幸福をかえりみず、自己の主張のみを強硬に通そうとするのか?

前例のない感染症によって世界が混乱におちいり、人と人の心のつながりが希薄になりつつある今日だからこそ、未来を担う子供たちはもとより、大人にも読んでほしい著者渾身の魂の書です。

強いタッチの挿絵も、重厚な作品世界に、より深みを与えています。