小学六年生に上がるのにあわせて、東京から長野県飯田市の美里小学校に転校してきた少女、杉野樹は、そこで三百年の伝統を持つ今田人形と出会う。
今田人形は、この地域が今田村と呼ばれていた昔に、大阪や京都から伝わってきたもので、今田人形浄瑠璃は、現在でもその愛好家たちによって受けつがれている。
クラスメイトとなった七海や陽斗も、学校で今田人形クラブに入っているほどの人形浄瑠璃ファンで、樹も、ちょっとした成り行きでクラブに入ってしまうことに。
東京では、親友に裏切られて、心に傷を負っていた樹。
今田人形に対しても、生きているようでこわいという感情しか持てない。
しかも、人形に芝居をさせるには、想像以上の体力が必要で、樹は、たちまち後悔することになってしまう。
今田人形は、三人が息を合わせることで、ようやく芝居をすることができる。
その高度な技に、はじめは四苦八苦する樹たちだったが、大宮八幡宮の秋の祭礼での上演めざして、しだいに熱が帯びてくる。
樹の心にも、少しずつ小さな変化が現れてくる。
しかし、そんな中、ふとしたことから七海が練習に参加しなくなってしまい、樹は、人前では見せたことのない彼女の複雑な悩みに気づくことになるのだが・・・。
著者は、今田人形浄瑠璃を徹底的に取材し、その魅力を余すことなく作品に組み入れている。
伝統芸能を守ろうとする子供たちの姿からは、しだいに失われつつある日本の文化への畏敬の思いが伝わってきて、あらためて読者に文化の継承の重要性を教えてくれる。
同時に、それは、メールやラインで簡単に意思の疎通を図ろうとする現代文明への警鐘でもある。
人形はものを言わない。
人の力を借りなければ、体を動かすことさえできない。
しかし、そんな不便な人形たちが、現在の手軽な通信手段では表現できない心の奥深さを、見る者に与えてくれるのはなぜなのか?
これは、児童文学でありながら、伝統を失いつつある大人たちにこそ読んでもらいたい、信州という大地を基盤にした地域文学の傑作である。
小学校中学年以上向き。