第一章

小さい時からそうだったが、藍は、幽霊の類が苦手だ。UFOとかオーパーツとかにも興味がない。

だから、今朝の女の声のような、ちょっとだけ首をかしげたくなるようなことがあっても、それをことさら取り立てて友達に話すようなことはしない。気のせいだろうで済ましてしまう。

実際、世の中に満ちあふれている不思議な話は、その大半が気のせい、もしくは作り話だと、藍は固く信じている。と言うか、自分にそう言い聞かせている。

早い話、怖がりなのだ。

藍は、筋金入りの怖がりだ。夏休みの肝試し大会や遊園地のお化け屋敷が大嫌い。ホラー映画なんて、もってのほかだ。

それなのに、藍の周囲にいる友達は、みんなオカルト系の話が大好きなのである。

人間は、なんで、怖いものや気持ちの悪いものを見たがるのかなあ?って、藍は思う。

今朝も、教室に入るなり、クラスメイトたちが恐ろしげなものを見せてきた。血だらけの白い着物を着た髪の長い女の・・・ペンケースだ。

「ねえ、これいいでしょ?映画館で、買ってきちゃった」

「例のホラー映画、見てきたんだ?」

「うん、おもしろかったよ」

ホラー映画を見ておもしろかったって、どういうこと?あんなもの、ちっともおもしろくないし、笑えないじゃない?

今、話題になっている映画の、悪趣味なグッズを持ってはしゃいでいるクラスメイトを見て、藍は、内心げんなりしている。

本当は、そんなものわたしに近づけないで、って思っている。

でも、みんなは、ガバリと開いた大きな女の口からシャープペンやらボールペンを取り出して、「キャアアア!かわいい!」なんて騒いでいるからたまらない。

かわいくないよ、そんなもの。気持ち悪いだけじゃん!

そう、声を大にして言いたいところを必死に我慢して、一緒に笑っている自分が情けない。

しかも、その後始まった一時間目の鈴木先生、通称ガリの好きなはずの国語の授業が、さらに追い打ちをかけてきた。

だって、教材が小泉八雲の「怪談」なんだもの。題名、まんまじゃん・・・。

その中にある「雪女」の話をとうとうと聞かされて、藍は、気分が悪くなってきた。

雪女は、美しい。美しくて、恐ろしい。

けれども、ラストまで読み終えた時、藍は、雪女に哀れみというか、はかなさのようなものを感じてしまった。

なんだか悲しいお話だなあと、しみじみ思っていると、「そうよね、ホラーだって、ハッピーエンドがいいよね」なんて声が後ろの席からこっそり聞こえてきた。

「うん?なあに?」

思わず振り返ると、後ろの席の女の子が、「どうしたの?」って顔で首をかしげている。

あれ・・・? 

なんだか、とても奇妙な感じだった。

橙真の時に続いて、これで二度目だ。すぐ近くで声が聞こえて、そっちの方に目を向けると、相手が何事?って表情でこちらを見返している。

変だなあ。やっぱり、わたしの頭の中おかしくなってるのかなあ。

藍は、さすがに心配になってきた。変な声が聞こえて気味が悪いというよりも、体調の異変を感じて怖くなるという、もっと深刻な不安だ。

 

そんなわけで、今日の藍は、一日中、テンションが上がらなかった。雨が降っているから、なおさらである。

朝から素晴らしすぎる虹に遭遇して、いいことがありそうな予感がしていたはずなのに、あれは間違いだったのかしら?

しとしとと降り続く雨がようやく止んで、雲の間から薄日が差し始めたのは、午後の、それも最後の授業が終わりに近づいたころのことだった。

これで、やっと気分が上向きになる。

「う~んっ、晴れたぁ!いい気持ち!」

校門のところで大きく伸びをして、クラスメイト数人と下校する。例のペンケースを持ってきた子も一緒だ。

ペンケースは、キーホルダーを兼ねていたから、通学かばんの取っ手からぶら下げられている。

やっぱり、どう見ても悪趣味だと、藍は思う。

「今日は、橙真君と帰らないんだ?」

「うん、クラブ活動だって」

友達からの質問に何気なく答えると、話題は、なぜか橙真のこと一辺倒になった。

「ねえねえ、橙真君って、隣クラスの子と付き合ってるんだって?」

「やだあ、それ、ガセだよ。だって、橙真君には、藍がいるじゃん」

「アッハッハッハ、それこそ、ガセだよ」

「やっぱり?」

みんなで大口を開けて、いっせいに笑う。

藍も笑って見せたが、内心、ドギマギしていた。

橙真が隣クラスの女子と付き合っているという噂は、藍の耳にも届いている。

もちろん、そばで橙真を見ている限り、そんなことはないと思うけれど、なんとなく胸が痛むというか、つらい気持ちになる。

だって、橙真はともかく、相手の女の子が橙真に好意を抱いているのは、事実らしいから。

別に橙真のことを好きだと思っているわけではないはずなのに、この胸のもやもやとした気持ちは、何なんだろう?

橙真は、意外と女子から人気がある。

卓球部に所属していて運動神経がいい上に、男子にも女子にも優しいというのがその理由だが、なぜか、藍に対してだけはぶっきらぼうだ。家が隣で幼なじみだから、お互い遠慮というものがない。

まあ、そんな関係が、藍にとっては心地よいわけなのだが。

「じゃあねぇ、また明日ねぇ」

ひとり、またひとりと友達と別れて、とうとう藍だけになった。家までは、あと一息だ。

この辺りは、かなり以前から住宅街になっていて、最後に別れた友達も、その一画に住んでいる。

そこから少し外れた場所に、桜公園と呼ばれる小さな公園があるが、時々、幼児を連れた母親を見かけるくらいで、いつも、ほとんど人はいない。

はずだった・・・。

「あれ?」

思わず、吐息のような声が藍の口をついて出た。

見かけない小さな男の子が、ブランコをこいでいる。体の大きさから、一年生か二年生くらいだろうか?

人口の少ない地域だから、名前まではわからなくても、およそどこそこの子だという判別はつくはずだと藍は思っている。

けれども、そんな藍の目にも、桜公園の男の子は真新しく珍しく映った。

どこの子だろう?初めて見る子だよね?

親の姿が見えないところに不安を感じた藍は、そのまま桜公園を通り過ぎようとして、はたと足を止めた。無邪気に遊んでいる様子から迷子には見えないけれど、夕暮れ時というのが気にかかる。

そろそろ、家に帰った方がいいのでは?

「君、どこの子?」

あれこれ迷う前に、言葉が出ていた。一瞬、自分がしゃべったみたいではなくて、びっくりする。

男の子は、あっという顔をしてブランコを止めると、急いで腰を上げ、藍の顔をまじまじと見た。それから、がっかりしたように肩を落として、また、ブランコの上に座り込んだ。

まるで、だれかを待っていたのに、違う人が来たとでもいうように。

「このあたりの子じゃないよね?ひとり?」

藍の重ねての問いかけに、男の子は首を横に振って答えた。

「ううん、マイティロボが一緒なの」

「マイティロボ?」

「本当は、合体してこうなるんだよ」

男の子は、ズボンのポケットから塩化ビニール製のロボットの人形を取り出して、藍の前に掲げて見せた。

よほど使い込まれてきたのだろう、ところどころに色はげが起きているその人形の顔は、妙にリアリティがあって、呼吸をしているかのように見える。

ズキン・・・。

あっ、今、確かに音が鳴った。

なんだろう、この感覚。初めて会った知らない子のはずなのに、胸の奥がざわざわする。

「ドロップあげる」

男の子は、もう一方のポケットからビニールに包まれたドロップを差し出した。

「ありがとう」

とくに舐めたいわけではなかったが、藍も隣のブランコに座って、ドロップを口に放り込んだ。甘いオレンジの香りが、口と鼻の奥に広がる。

空を見上げれば、雲が夕焼け色に染まり、カアカアとカラスが鳴きながら飛んでいくのが見える。

「もう日が暮れるから、家に帰った方がいいよ」

「うん・・・」

「だれかを待ってるの?」

「・・・うん」

男の子は、「うん」を繰り返すばかりで、それ以上、何も答えようとはしない。

何か言いにくいことがあるのだと、幼いながらも、大人が見せるような心の迷いを男の子に感じた藍は、しばらくは、こうして一緒にブランコを揺らしているしかないかと心に決めた。

どうせ、早く家に帰っても、今日の母さんの勤務は夜の八時までで、だれかが待っているわけではない。

けれども、男の子は、小さくなったドロップのかけらをカリカリとかんで飲み込むと、そんな藍の気持ちを感じ取ったかのように、「ぼく、帰る」と言った。

「え?そう?うん、そうだね。そうしようね」

少々、拍子抜けしながら藍がブランコから腰を上げると、男の子は、マイティロボを握ったまま、もう片方の手を振って、子犬のように駆けていってしまった。

「バイバイ」

公園の外れで一度振り返って、初めての笑顔を見せる。

なんか、かわいいなあと思っていると、その時、またもや藍のすぐ背後で知らない女の声がした。

「あのくらいまでの年ごろが、いちばん愛らしいんだよね」

「うん、そうだね。って、えっ!」

つられて返事をしてから、心底ぞっとした。

今のだけは、間違いない。絶対に、だれかがしゃべったのだ!それも、藍の首筋に息がかかるほどの近距離で!

「う、うわあ!」

思わずその場から飛び退いたが、公園には、藍の他にだれもいない。

「うわわあん!」

もう、叫ぶしかなかった。

朝から変な声が聞こえると思ってはいたが、今度の今度こそ、気のせいとか幻聴ではないと断言できる。

すぐそこに、だれかいるのだ。目には見えないだれかが!

「うわわわあんっ!」

うわわん、うわわんと田舎の暴走族のように悲鳴をあげながら、藍は、公園から転げるように逃げ出した。

何?何なのよ?こんなことってある?こんな奇怪な話、映画の中にしかないって思ってたのにぃ。

 

そこから家までの道のりを、藍は覚えていない。

気がつくと、藍は、学校かばんを抱えながら、自分の部屋のベッドの上で震えていた。

家中の蛍光灯を全部つけて、テレビやパソコンのスイッチも入れて、非常用のラジオまで持ち出してきて音を鳴らした。

テレビ画面の中では、おなじみのワイドショーで女性キャスターが笑顔を振りまいている。今日の番組メニューは、駅前に新しくできたスイーツのお店の紹介だ。

そうそう、こういうのがいい。大好きなスイーツのことに集中していれば、怖いのなんて忘れていられる。

忘れられるはずだ・・・。忘れさせてください!

こんなに、母さんの帰りが待ち遠しいことはなかった。やっぱり、家にひとりというのは、寂しいものだ。

父さんが生きていたころは、消防士という職業柄、看護師の母さんと相まって、家族全員がそろうということはなかなかなかったけれども、それでも夕刻を過ぎれば、藍のそばには、どちらかがついていてくれた。

二人の勤務が重なってどうしようもない時だけ、隣町に住むおばあちゃんが、軽自動車を運転して駆け付けてくれた。

正月やクリスマスを一緒に過ごせないことはあっても、日にちをずらして、ちゃんとお餅も食べたしケーキでお祝いすることもできた。

父さんがいなくなって変わったのは、なんと言っても、ひとりの時間が増えたことだ。ひとりがいいっていう友達もいるけれど、藍はだめだ。だって、怖がりだから。

今日、知らない女の声が耳もとで聞こえるという不気味な体験を何度も重ねてきて、藍の臆病風は、吹きに吹きまくって、まるで台風のようになっていた。

なんで、わたしは、こんなに怖がりなんだろう?こうなったら、最後の手段、かなり恥ずかしいけれど、隣の橙真の家に助けを求めに行こうか?

藍がそこまで思いつめて、いよいよ立ち上がりかけた時のことだった。

とうとうである。とうとう、ホラー映画で主人公のヒロインが最初にお化けと遭遇して、ギャーギャー叫ぶシーンがやってきた。

なんと、家中の明かりという明かりが、全て消えたのだ!いっせいに!バチンっと音を立てて!

後から冷静になって考えてみれば、電気の使い過ぎで家のブレーカーが落ちただけだったのかもしれないが、このことをきっかけに、藍に付きまとってきた何かは、ブルブル震えているいたいけな十四歳の少女に全面攻撃をかけてきた。

「な、な、何?何なの・・・?」

真っ暗な闇の中で、藍の部屋のテレビ画面だけが、異様な青い光を放ち始めた。そのゆがんだ像には、ひとりの女の姿が映っている。

白い着物を着て、長い髪で顔を隠した異様ないでたち。

(うそっ・・・!)

悲鳴をあげたくても、あげられない。ようやく、かすれた声が小さく出ただけだ。

「ひ・・・ひ・・・ひいぃっ・・・」

女は、画面の中をゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

一歩、また一歩と、近づいてくるにつれて、地面の土を踏みしめる足音まで聞こえてきて、極めつけのセリフ。

「見たなあ~っ」

見てません!見てません!っていうか、そっちが勝手に見させたんでしょ~が?

ついに、女が藍に手を伸ばしてきた。すると、その手が現実のものとなって画面の中から突き出てくる。

どんなに精巧なホログラムができたとしても、ここまでリアルには再現できないだろう。

「いやあっ!」

藍は、かばんを投げつけた。枕も投げつけた。にも関わらず、女は、悠然とテレビ画面から這い出してくる。

ああ、この人、こんな何かの映画のパクリみたいなシチュエーションで現れなくたっていいのに。最近は、お化けもホラー映画を見るのかしら?

命の危険にも及ぶような状況で、そんな緊迫感のないことを考えながら、藍は、生き残るためにはどうすればいいか、必死に頭を回転させた。

そして、あっけなく対処法を思いついた。

藍は、女のゆっくりとした動きをいいことに、パッとベッドから飛び降りてテレビのコンセントを引き抜いた。そのとたん、消えていた家中の明かりがついて、代わりにテレビの電源が落ちた。

「あ?」

思わず顔を上げた女の目と藍の目が合う。

「うぐっ」

ちょうどお腹のところで画面が消えているせいか、思い出したかのように、女の顔が苦痛にゆがんだ。

「うぐぐぐぐっ」

どうやら、下半身をしめつけられて苦しそうである。

もしかして、これってチャンス?

藍は、あっけに取られながら自問した。

どんなに恐ろしいお化けだって、身動きが取れなければ、どうってことない。柵の中にいる動物園のライオンと同じだ。

ちゃんと飼育されているライオンならかわいいかもしれないが、目の前のお化けは、さんざん自分を恐怖に陥れた憎らしいだけのものでしかない。

バシバシバシ!

藍は、床に転がっていた枕を拾い上げて、女の頭にたたきつけた。

「わっ、やめ・・・やめ・・・」

バシバシバシバシバシ!

「ちよっ、待って・・・、待っ・・・」

バシバシバシバシバシバシバシ!

どうだ、生きた人間の力を思い知ったか?ホラー映画だって、最後は主人公の人間が勝って終わるんだぞ?

自分のどこにこんな勇気があったのかと、びっくりさせられる。

もしかしたら、わたしって、切れるとスーパー何とかになる類の人間かもしれないなどと、バカなことを考えてみる。。

気がつけば、枕の裂目から羽毛が飛び出し、女の後頭部に降り積もっていた。

女は、うつ伏せに両腕を伸ばして、リング上でノックアウトされたボクシング選手の図になっている。

「う、う~んっ・・・」

頭を抱えて、うなった。

「あたたた・・・、もう、そんなにたたかなくたっていいじゃない?」

起こした顔をしかめながら、不平をこぼす。

「他人の家に不法侵入してきたくせに、何言ってるのよ!」

生きた人間と同じように会話ができる相手と知って、バクバク鳴っていた藍の心臓も、少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。

お化けと言っても、日本人らしい。これが、英語とか中国語でしゃべられていたら、何を言ってるのかわからなくて、翻訳アプリが必要だったことだろう。

あらためて見れば、女は、二十歳前後くらいの若さで、白い着物に長い髪という絵に描いたような雪女スタイル。

なかなかの美人である。

ただ、上半身が雪女、下半身がテレビという姿は、できそこないのマーメイドみたいでマヌケそのものである。

「と、とにかく、苦しいから、テレビの電源入れてくれない?」

「ダメよ。電源入れたら、襲ってくるつもりなんでしょ?」

「襲わない、襲わない。初めっから襲うつもりなんてないわよ」

「うそ!『見たなあっ』とか言って、迫ってきたじゃない」

「あれは、サービス。幽霊なんだから、それなりに怖がらせてあげないと、相手に失礼でしょ?」

「はあ?」

何とも奇妙なお化けの言い分を聞かされて、藍は唖然とした。

あれって、サービスなのか。

そう言われてみれば、わたしたち人間って、わざわざお金を払ってお化け屋敷に入るよね?ホラー映画も見に行くよね?

「本当に悪さしない?」

「しません、しません!こう見えても、わたし、正式なあの世からの使いなんだからね」

「あの世からの使いって、わたしをあの世へ連れていくつもりなの?」

「ううん、その反対。わたしは、あなたを救うためにやってきたの。だから、ここから出してちょうだい。ス・ギ・ム・ラ・アイ・ちゃん!」

こちらの名前を知っているという点が、藍の警戒心をそれなりに解いた。

これ以上ないというほど怪しげな登場の仕方だったけれど、こうして話をしてみると、悪い人にも思えない。

ちょっと迷ったが、藍は、恐る恐るコンセントをソケットに差し込んで、テレビの電源ボタンを押した。

しばらくの沈黙の後、画面に映ったのは、殺虫剤のコマーシャル。有名タレントがシューッとスプレー缶を押すと、その勢いに押し出されるように、雪女がテレビから飛び出した。

「いてっ」

頭から床に激突した雪女は、慌てておでこをさすっている。

「あ~っ、苦しかったあ。ホラー映画の真似してみたけど、こんなことやるもんじゃないわね。これからは、オーソドックスに、寝ている時に上乗りの金縛りってパターンにするよ」

「いいです!そんなことしなくて、いいです!」

藍は、首をブンブンと横に振って、ぴしゃりと押さえ付けるように言った。雪女の方は、何をそんなに遠慮しているのかと、不思議そうな顔をしている。

それにしても・・・。

「こんな不思議なことって、あるんだね。あなたって、本当に幽霊なの?」

「そうよ。正真正銘の幽霊」

「すごい。夢を見てるみたい。あの世から、わたしを救うためにやってきたって言ってたけど・・・」

藍がしきりに感心して見せると、雪女は、急に居住まいを正して、あいさつを始めた。

「わたしは、蒼(あお)。今日からこちらに住まわせていただきます」

「うちに?な、なんで?」

「だから、あなたを救うためよ。いい?今からわたしが話すことを驚かずに聞いてね。でも、ショックを受けると思うから、覚悟はしておいてね」

覚悟をしろと言われて、和らぎかけた藍の心に再び緊張が走った。

この人、何を話すつもりなんだろう?あの世へ連れていくわけではないと言っていたけれど・・・。

「単刀直入に言うね。このまま何もしないでいればの話だけど、一か月後にあなたは死にます」

「えっ・・・」

「原因はわからないの。不慮の事故かもしれないし、急に病気になるのかもしれない。とにかく、あなたの命は、あと一か月しかないってわけ。あっ、だから、話を最後まで聞いてちょうだい!」

蒼は、話している途中で、慌てて藍をなだめにかかった。

気がつけば、藍は泣いていた。泣くつもりなんて、これっぼっちもなかったのに、目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。

自分が死ぬなんて、考えたこともなかった。父さんが亡くなったことによって、死は突然やってくるものだという認識は持っていたけれど、それを自分に当てはめることは難しかった。

それなのに、蒼は、わずか一か月後に藍が死ぬと言う。

余命一か月の宣告を受けた病人の気持ちが、まるで銃弾で心臓を貫かれた人のようにわかった。

「それ、本当なの?・・・。わたし、そんなに早く死んじゃうの?」

自分が死ぬとわかった時、人はこんなにも簡単に泣けるんだ。

まだ、冷静に状況を理解できているわけでもないのに、涙腺は、頭で考えるよりもはるかに早くゆるんで、たまっていた涙を放出する。まるで、ダムみたいに。

「違う、違う!このまま何もしなければの話よ。最初に言ったよね?」

「でも、何もしなければ死んじゃうんだ」

「いやいや、何かするでしょ、普通。大丈夫、そのために、わたしが来たんだから。わたしは、閻魔大王様から直々の命を受けているのよ。閻魔大王様は、あなたを死なせたくないと考えていらっしゃるの」

蒼の言うことは、いちいち、衝撃的すぎて理解することが難しい。頭がついていけない。

閻魔大王様がいるの?あの、しゃくを持った怖いひげ面のおじさんが?

「閻魔大王様、怖い・・・」

もう、自分でも何を言っているのかわからなくなっていた。

「怖くないわよ。あなたを助けてくれるって言ってるのよ」

「あの髭が怖い」

「髭って・・・」

「あの怪獣みたいに、でっかいとこも怖い」

もうろうと言い続ける藍に業を煮やしたのか、蒼は、プンプン頭から湯気を立ち昇らせて反論する。

「わたしの閻魔大王様に失礼ね!閻魔大王様は、とっても心の優しいお方なの。わたしの憧れ。何なら、ブロマイド見る?」

蒼は、そう言って、懐から一枚の写真を取り出した。

なぜか二つ折りにされたその写真には、長いしゃくを剣のように腰に携えたカッコイイ美青年が、腕を組んで立っている。

「閻魔大王様・・・?」

「そっ、閻魔大王様」

アイドルかと思った。

こんなイケメンが閻魔大王様だなんて、あの髭おじさんのイメージは、いったいどこから来たんだろう?

「フフフ、びっくりしてるわね?もう、ほっぺたにスリスリしたくなるような、きれいなお顔でしょう?」

うっとりと夢見る乙女の表情になっている蒼は、今にも藍にスリスリしてきそうな勢いである。

ところが、次の瞬間、目付きが一変した。

「でもね、閻魔大王様には、クルルっていう許嫁がいるのよ。もう、あんなキャピキャピ女のどこがいいっていうのよ!」

写真が、なぜ二つ折りにされているのか、その理由がわかった。

蒼が手にした写真を広げると、閻魔大王様の後ろで笑顔を振りまくひとりの女の子が、まとわりつくように写っている。

栗色のおさげ髪がよく似あうかわいらしい子だが、その姿は、確かにキャピキャピというかミーハー感全開で、まるでアイドルの追っかけのようだ。

「こんなのが趣味だなんて、絶対におかしいわ!わたしみたいな大人の色白美人こそ、閻魔大王様にはふさわしいのよ」

自分で自分のことを色白美人とか言ってるあたり、この人の頭も、かなりキャピキャピだ。

とにかく、蒼は、閻魔大王様の大ファンで、その閻魔大王様から直接指令を受けてきたということで、藍の前に現れた。

そして、一か月後に死んでしまうことになっている藍を救うのだという。

「どう?理解できた?もう、光栄に思ってほしいわね。これから一か月間、わたし、四六時中あなたに付きまとうことになるけど、そういうのって、閻魔大王様から許可をもらった幽霊にしか許されないんだから」

「いえいえ、そういうのって、幽霊よりも天使とかにやってもらいたいんですけど」

四六時中付きまとうと言われて、思わず藍が不平をこぼすと、蒼は、あきれたように肩をすくめた。

「バカねえ。今でこそ幽霊だけど、もと同じ人間だから、あなたのことが手取り足取りサポートできるんじゃない。天使なんて、神様から言われたことしかできないサラリーマンだから、いざとなったら、何の役にも立たないわよ」

「サラリーマン・・・」

蒼の言葉に唖然としながらも、妙に説得力もある気がして、藍は自分自身を納得させた。

幽霊に一か月も付きまとわれるのは、けっしていい気分ではなかったが、自信ありげな蒼を見ていると、死の宣告を受けたショックが、徐々に和らいでいく。

今は、この人に賭けてみるしかないのかも・・・。

だんだん、そう思えてきた。

「それで、どうやって、わたしを救ってくれるの?何が原因で死ぬのかもわからないのに、方法なんてあるの?」

「ああ、それなら簡単。つまり、あなたを救うんじゃなくて、あなたが救うの」

「はっ?」

「あなたより、もっと救わなきゃならない子がいるのよ。その子を救えば、あなたも救われるってわけ」

「へっ?」

簡単どころか、なんだか、話がややこしくなってきた。蒼は、目を点にさせている藍などおかまいなしに話を続ける。

「運命共同体って言えば、わかるかな?あなたが救わなきゃならない子とあなたとは、同類項なのよ。同じカテゴリー」

「ちょっ、ちょっと待って!わたしとその子に、どんな関係があるっていうの?」

「特に関係はないかな。一か月後に死ぬってとこだけが共通点。身内でもなければ友達でもない。でも、知ってる子よ」

「知ってる子?」

「学校からの帰り道で会ったじゃない?」

「?」

「公園で遊んでいた男の子。名前は、白井ユウ君。小学一年生よ」

驚いた。

初めて会ったばかりなのに、あの時感じた胸のざわざわ感は、けっして偶然ではなかった。というより、蒼が二人を引き合わせたということなのかもしれない。

「あの子、死んじゃうの?」

「このまま、放っておけばね。あんなかわいい子、見殺しにはできないでしょ?」

「うん・・・」

自分が死んでしまうというのは、もちろん、大きなショックだけれども、年端もいかない子供が、わずか一か月後に死んでしまうというのも、かなりショックだ。

何が原因で、そんなことになってしまうのだろう?

「あなたと同じで、どうやって死ぬのかはわからない。そこが、やっかいなところ。でも、対策は立てられる。とにかく、明日、作戦会議を開くから、あの橙真君って子も連れてきなさい。こっちも、メンバー集めとくから」

「メンバーって、まさか、他にも幽霊連れてくる気じゃないでしょうね?それに、橙真は、関係ないよ」

「あら、あの子、あなたのボーイフレンドでしょ?大いに関係あるじゃない」

さっきから真顔の蒼の言葉に、藍は、ドキドキしながら小声で答えた。

「橙真は、そんなんじゃないもん・・・」

「へえ、そうなの?それなら、わたしが乗り移っちゃおうかしら?閻魔大王様ほどじゃないけど、あの子も結構好みなのよね」

「や、やめてえ!」

悲鳴をあげる藍を見て、蒼は、心底おかしそうに笑った。

「あっはっはっは!ジョーダンよ、冗談!今日一日、ずっと見てたけど、あなたって、ユーモアのセンス無いわねえ」

これが本当に幽霊なのかと、自分の目を疑いたくなる。

見かけによらず、蒼は、陽気でおっちょこちょいで、いたずら好きだ。これから、一か月間もこの人と過ごさなければならないのかと思うと、いくらのんびり屋の藍でも、ため息をつきたくなってくる。

とにかく、選択の余地はなかった。

藍にとっては、まったく災難としか言いようのない事態だが、蒼が来てくれなければ、わずか一か月後には死んでしまっていたわけだから、命拾いをしたと思えばいい。

ただ、母さんにだけは黙っていようと、心に固く決めた。自分の娘が命の危険に脅かされているなんて話、信じてもらえるはずもないけれど、普段から仕事に家事にと苦労ばかりかけている母さんにだけは、今以上に心配をかけたくないから。

 

そんなわけで、その後、母さんが仕事から帰ってきて、一緒に晩ごはんを食べている時も、藍は、努めて冷静に、いつもと変わりない様子をつくろっていた。

蒼はと言えば、家の中のどこかにいるようだけれども、姿が見えないようにしているから、もちろん、母さんに気づかれるはずもなかった。

でも、普通にふるまおうと思えば思うほど、藍は、泣きたくなって仕方がなかった。

蒼は、「わたしがついているから、大丈夫」と言ってくれるけれど、もしかしたら、父さんに続いて母さんとも、もうすぐお別れしなければならないかもしれない。

そう思うと、自然に目頭が熱くなってしまうのだ。

けれども、ここで泣いたりしたら、どうかしたのかと母さんから突っ込まれ、事情を全て打ち明けなければならなくなる。

だから、がんばっておもしろおかしい話を続けるようにした。

母さんは・・・、ただ、ニコニコと笑っているばかりだった。