第四章

「いやあ、こんなことって、本当にあるんですねえ。わたしみたいなおじさんからすると、どうしても、コスプレにしか見えないんだけど・・・」

朝のワイドショーで、コメンテーターのジャーナリストが頭をかいている。世界中の戦争や災害現場を取材している有名人ではあっても、パットマンにコメントを出すのは容易なことではないだろう。

「先生、この男の正体は、いったい何者なんでしょうか?」

MCのアナウンサーから、そんな質問をされたところで、

「え?いや、はい。その・・・なんて言うか、やっぱり、宇宙人?そうだ!それですよ、それ!」

額に冷や汗を浮かべながら、もう、支離滅裂になっている。

「ソラ、そろそろ出なくていいの?学校に遅れるわよ」

「はあい」

通学かばんを片手に、セーラー服姿でテレビに見入っているところを、母さんから催促されて、しかたなく玄関に向かう。

「行ってきまあす」

外へ出れば、お日様が大笑いしているかのようないい天気。ソラの気分も、上々だ。

なんてたって、一夜明けて、ソラはヒーローになっていたのだ。それも、日本にとどまらず、世界中から大注目。ワイドショーは、当初予定されていた内容を全面的に変えて、どのチャンネルを見ても、パットマン一色である。

そんな世間の興奮状態は学校に着いてからも同じで、クラスメイトの話題は、ひとり残らずパットマンに集中している。

「とうとう、ソラの時代がやってきたね」

顔を合わせるなり、由衣からそう声を掛けられて、ソラは、思わず「ひょえっ!」と叫んでしまった。

「ど、どうしたの?そんなに驚いて」

「ななな、なんでわたしの時代なの?」

「だって、ソラ、宇宙人とか都市伝説とか好きじゃない?こんな不思議なことが現実になって、やったあって思ってるでしょ?」

「あ、ああ、そーゆーことか・・・」

びっくりしたなあ、もう!パットマンの正体がわたしだってことが、早くもバレちゃったのかと思ったわ。

由衣は、ソラと比べれば冷静な性格で、ミーハーな話題には関心を示さない方だけど、そんな彼女の瞳が、いつになくギラギラしているのだから、やっぱり、パットマンの登場は、だれにとっても大きな衝撃なのだろう。

ふと視線を感じて、そちらの方へ目を向けると、自分の席で本を読んでいたセイジがニヤッと笑ってから、すぐに顔を背けた。

当然のことながら、ソラを除けば、セイジが他のだれよりも興奮しているはずで、ソラだって、今はいちばんに彼と話がしたい。

その後、一時間目と二時間目の授業の間の休憩時間に、ソラの席の隣を通り過ぎたセイジが、まるめた紙をさり気なくソラの机の上に置いていった。だれにも気づかれないように広げてみると、「昼休みに屋上で待ってる」と書かれてある。

 

これほど待ち遠しい昼休みが、かつてあっただろうか?

ソラは、こんな状況でも、給食だけはしっかりと味わって食べたが、それ以外の時間はほとんど上の空で、授業の内容なんてほとんど覚えていない。まあ、これは、いつだって同じようなものだったが。

「ああ、もう、ソラと話したくてたまらなかったよ!」

待ちに待った昼休みに校舎の屋上へ駆けつけると、セイジは先に来ていて、他のクラスメイトの前では絶対に見せないようなくだけた調子でソラを迎えた。その普段とは違う様子が、ちょっと、うれしかったりする。

「わたしもだよ!一夜明けたら、すごいことになっていて。ねえ、これって夢じゃないよね?ちょっと、ほっぺた、つねってくれる?」

「おれのもつねってよ。一昨日から頭の中がぐちゃぐちゃなんだ」

こうして、お互いのほっぺたをクロスカウンターのようにつねりあって、いてててててっ。やっぱり、夢じゃない!

「すごいことになったな。ソラ、大活躍じゃん」

「う~ん、そうかもしれないけど、わたしがやったっていうよりは、パットマンがやったって感じなんだよね。何を言っても、パットマン語になっちゃうし」

「パットマン語・・・」

セイジは、クククッとお腹で笑って納得したように手をたたく。

「なんで、あんなおじさんみたくなっちゃうんだろう?」

「もう、それだけは言わないで!わたしにも謎なんだから」

「それに、あの犬かき!」

「だから、言わないで!」

ああ、もしも、パットマンの正体がばれたら、わたし、本当に結婚できなくなっちゃう。だから、このことだけは、絶対にだれにも知られてはならない。

昨日の被災地からの帰り道、老師様からも例の通信機能を通して釘を刺されている。

「よいか、ソラ。自分がパットマンであることだけは、だれにも言ってはならぬぞ。もしも、正体がばれたら、その能力を巡って世界中の良からぬ連中がおまえさんを狙うことになる。事実、早くも一部の国の諜報機関が捜査を始めたようじゃ。抜け目のないやつらじゃからな」

老師様からの警告は、ソラの抱いている心配のレベルとははるかにかけ離れたものであったが、中学生の女の子にそんなこと言われても、いまいちピンとこない。

「まあ、そちらの方はわしが何とでもしとくから、おまえさんは、とにかく地球のために活動してくれ。学校の方も心配いらんでな」

そうだった。肝心なことを忘れてた。昨日、学校の方はどうなったんだろう?

今朝、わたしが登校しても、だれもそのことを言わなかった。由衣も尋ねてこなかった。昨日、どうして休んだの?って。

「ねえ、昨日のわたしって、欠席扱いになってるの?」

「あっ、そうか。そのこと言ってなかったな。大丈夫、ちゃんと出席したことになってるよ。老師様の変身のおかげで」

「変身?じゃあ、やっぱり!」

「びっくりしたよ。昨日、ソラが被災地に飛んで行った後、となりを振り向いたら、そこにもうひとりのソラがいるんだもの。腰を抜かしそうになった」

やはり、あの時ソラの瞳に映ったセーラー服姿の老師様は、見間違えなどではなかった。

セイジの話によれば、ソラに変身した老師様は、その後、何食わぬ顔で登校し、由衣や他のクラスメイトとも普通に話していたという。

授業中は、いつものソラのように眠そうな顔をして、給食時間になれば、男子並みの豪快な食べっぷりで給食を瞬く間に平らげたらしい。

「やだ、わたし、そんな下品な食べ方しないわよ!」

「えっ、そう?そっくりだったけど」

「・・・・・」

まったく悪気のないセイジのナチュラルな回答に、ソラは何も言い返せなくなる。

「そ、それに、実際には学校に行ってないんだから、わたし、授業についていけなくなっちゃうよ」

「その点も心配ないって、老師様が言ってたよ。老師様がソラになっている間の記憶は、変身ベルトに転送してあるからって」

「ほ、ほえっ?」

そう言えば、午前中の授業でソラが困ることはひとつもなかった。由衣と昨日どんな会話をしたのか、その内容だって、きちんと頭に入っている。そのことに、今に至るまで気づかなかった自分の鈍さが情けない。

つまり、結論はこうだ。ソラがパットマンになっている間は、老師様がソラの代わりを務める。パットマンから元のソラに戻る際に、代わりになっていた時間の記憶をソラの頭脳に転送する。これで、何も問題なし。

いやあ、テクノロジーの進化ってすごいなあ・・・なんて、感心してる場合じゃなかった!

ソラは、思わず突っ込みを入れたくなった。それなら、初めから老師様がパットマンになればいいのに。なんか、いいように使われている感が半端ない。

「でも、ソラが楽しそうなんで安心したよ。やっぱり、変身ベルトは君のためにあったんだな」

「どういう意味?」

急に改まったようなセイジの言葉に、ソラは首をかしげる。

「ソラの方が、変身ベルトを正しく使いこなせるってことさ。老師様が言ってただろ?パットマンになるには純粋な心が必要だって。人助けをして素直に喜べるやつなんだよな、ソラは」

「そんなの普通のことじゃん。セイジだって、そうじゃないの?」

「おれ?おれは・・・違うと思う。他人のことなんて、どうでもいいって思ってる人間だから」

セイジは、ちょっとひねくれたように言ったが、視線が明後日の方角を向いている。それを聞いて、ソラは、ほとんど無意識のうちに反論していた。

「うそだ。だって、一緒に家の鍵探してくれたよね?他の人が何て言うかは知らないけど、わたしは、セイジのこと優しい人だと思ってるよ!」

「・・・・・」

叫ぶように言ってしまってから、ああ、やってしまったと思った。これでは、まるで愛の告白でもしているみたいだ。

「そんなこと、人から初めて言われたよ・・・」

セイジは、驚いたように、まっすぐソラを見つめた。

こんなふうに人から見つめられることなんて、あまりないと思う。特に男の子からまっすぐに見つめられることなんて。

「ありがとう。でも、やっぱり、おれは自分のことばかり考えているやつさ。おれ、変身ベルトを他のことに使いたいんだから」

「他のこと?」

「妹のこと。おれの妹、足を悪くして歩けないんだよ。まだ、小学二年生なのに」

たぶん、今のがいちばん興味をひかれた一言だったと思う。

もともと、セイジの家族構成など知る由もないソラではあったが、まさか妹がいるとは思ってもみなかった。なんとなく、ソラと同じ、ひとりっ子のような気がしていたのだ。

「二年生?じゃあ、今、わたしが通っていた小学校に行ってるの?」

「そういうことになるかな。老師様から変身ベルトを見せられた瞬間、おれの頭に浮かんだのは、こいつがあれば、妹をもとのような歩ける体にしてあげられるんじゃないかってことだった。地球の平和より、おれにとっては、そっちの方がずっと大切なことだからな。老師様は、そこを見抜いていたんだと思う」

「そんな、妹のことを心配するのが、どうしていけないの?」

「もとはと言えば、全部、おれのせいなんだ。おれが妹の足をだめにしたんだよ。いや、心をだめにしたと言った方が、正しいかもしれないな」

「・・・・・」

ソラとセイジは、知り合ってそんなに長い時間を過ごしてきたわけではない。そもそも、セイジが転校してきたのが三か月前のことだし、こんなふうに会話ができるようになったのは、つい最近のことだ。

だから、お互いにそんなに深い話をしたことはなかったが、今、耳にしているセイジの話は、恐らく彼の心のいちばん奥に潜んでいるものに違いない。

ソラは、恐る恐る尋ねた。

「何があったの・・・?」

「うん、ちょっとね・・・火事を起こした」

「・・・セイジが?」

「そう、そのせいで父さんと母さんが死んだ。妹のユカは無傷だったけど、ショックから立ち上がれなくなった。それで父方のおじさんの家に二人で越してきたんだ」

セイジは、一気にしゃべった。目をまっすぐに前へ向けたまま、何事もないかのように装っていたが、瞬きを一度もしなかった。言葉が終わってからもしない。棒立ちになっている。

けれども、棒立ちになっているのは、ソラも同じだった。話が衝撃的過ぎて、受け入れるだけの余裕がない。

「わたし・・・何言っていいかわからない」

あまりの内容に、胸のあたりが痛いような熱いような感覚になった。セイジの転校の背景に、そんな重大事が潜んでいようとは、クラスの誰ひとり思わないだろう。担任の教師も、何も言わなかった。

「ごめん、こんな話して困っちゃうだろ?」

「困っちゃうって言うか・・・なんか混乱しちゃって・・・わたしの方こそごめん」

「いいよ、話の成り行きでしゃべっちゃったけど、聞かなかったことにしてくれよ。ソラには関係のない話だし」

関係のない話。たしかにそうかもしれない。それなのに、こんなに心がざわつくのはなぜだろう?

「もしかして、それが原因で、クラスのみんなとうまくいかないの?」

尋ねてしまってから、わたしは何を言ってるんだとソラは思った。もう、こういうデリカシーのないところ、自分でも嫌になる。

「あ~そうだなあ。うん、そうかもな。時々、何やってるのかわからなくなる時があるんだよ。なんか、イライラするっていうか、だれとも話したくなくなる」

セイジの顔が、緊張でこわばっている。もしも、これが逆の立場だったら、わたしなら声を出すこともできないのではないかとソラは思った。

「こっちに来てから、辛いことばっかりでさ。おれたち、おじさんたちから、よく思われてないんだ。そりゃそうだよな。突然、家に厄介者が来て、金はかかるし」

「そんな、厄介者だなんて」

「ううん、厄介者さ。もともと、おじさんは、父さんと母さんの結婚に反対してたんだって。母さん、高校時代の交通事故が原因で車いす生活だったんだ。結婚しても苦労するだけだって、おじさんは言ってたらしい。今回の火事だって、母さんがひとりで歩ける体なら、みんな助かったんだ。でも、おれが火事を出して、二階で寝ていた父さんと母さんは逃げ遅れちまった。いよいよ助からないとなって、一緒にいたユカを二階の窓から放り投げた。おれ、懸命に受け止めようとしたけど、無理だった。受け止めた瞬間、そのまま転んじゃって、ユカは足をくじいた」

「それで、歩けなくなった?」

「ケガそのものは軽い打撲だけなんだって。でも、どういうわけか、それ以来、歩けなくなっちゃった。死んだ母さんが乗り移ったみたいに」

セイジの表情が、クラスメイトとケンカをしている時のように険しくなっている。けれども、その険しさは、以前にも感じたように、小動物を追いつめるオオカミのようなものではなく、逆に追い詰められ恐怖におののく小動物の険しさみたいなのだ。

「しかも、それが原因で、学校でいじめにあってるみたいなんだ。本当は歩けるくせに、歩けないふりして体育の授業をさぼってるって。いちばんの心配は、そこでさ」

「うん・・・」

「もう、つくづく自分が嫌になっちゃうよ。おれ、小さいころから星空を眺めるのが好きで、あの日も庭で天体望遠鏡をのぞいてたんだ。ほら、ちょっと前にしし座流星群ってあっただろ?寒かったから、リビングと庭の間を行ったり来たりしてた。そしたら、リビングのストーブの火がカーテンに引火して・・・。気がついたら、もう、炎が天井まで届いてた」

そして、自宅は全焼し、両親は亡くなり、妹は歩けない体になってしまった。さらに引き取られたおじさんの家でも、歓迎されていないという。

「この話、他のだれかにした?」

「してないよ。できるわけないだろ?自分が人殺しだなんて話」

「セイジは、人殺しなんかじゃないよ!わざとやったんじゃないんだもの」

「人殺しと同じだよ。こんな大失敗やらかして、死んだ方がいいと思ってる。死なないのは、妹を守ってあげなきゃって、ただそれだけ」

「そんな・・・」

もう、ソラには返す言葉がなかった。

家族の生死にまつわる重大事を同い年の少年から告げられて、なんとか励ましたいと思っても、「がんばれ」とか「大丈夫だよ」なんて簡単に言えるわけがない。

何をがんばればいいのか?何がどう大丈夫なのか?

どうして、こんな悲劇がセイジを襲ったのだろう?何も悪いことをしていない星空が好きなだけの少年が、少し不注意だったとはいえ、これほどひどい仕打ちを受けるいわれはないはずだ。

けれども、セイジは、自分を被害者だとは思っていない。加害者だと思っている。

「あっ、悪りぃ。結局、みんなしゃべっちゃった。ソラといると、何でも話したくなっちゃうから不思議だな。ひょっとして、それも、パットマンの力なの?」

セイジは、ふと我に返ったように肩の力を抜いて、最後は、少しおちゃらけて見せた。

そんな笑顔を見せられても困る。一緒に笑うわけにもいかないし、泣くわけにもいかない。笑ったら失礼だし、泣いたら安っぽく見えてしまう。

今のセイジの心に寄り添えるものは、この世にひとつとしてないだろう。そう思ったら、パットマンになって浮かれていた気分が、たちまち冷めてしまった。

予鈴が鳴って、昼休みが終わり。パットマンの話で盛り上がるはずが、とんでもないことになってしまった。

でも、ひとつだけソラの胸に染みわたるものがある。本当にひとつだけ。

それは、「だれとも話したくなくなる」はずのセイジが、ソラの前では「何でも話したくなっちゃう」ってこと。これって、無理にこじつけてるわけじゃないよね?

「さっきの、妹さんがいじめられてるって話だけど」

ソラは、切り出した。

「わたしがパットマンになって、見守るようにしようか?パットマンになっている間は、老師様がわたしの代わりをやってくれるんでしょ?それなら、こっそり、妹さんの教室の中をのぞくこともできるし、登下校の時も空から見守ることもできる」

おお、我ながらいいアイデアだ。セイジの力になれるとしたら、これしかない。

老師様の言う魔女メデューサが、次にどんなことを仕掛けてくるかは知らないけれど、そうそう毎日何かをやらかすわけでもないだろう。ロボットアニメの悪役だって、一週間に一度、毎週決まった時間にしか悪事を働かないのだから。

「え?それは、ものすごく助かるけど、ソラはそれでいいの?」

「もちろんよ!わたし、ひとりっ子だけど、もしも、自分に妹がいて、学校でいじめられたりしてたら、ご飯ものどを通らなくなっちゃうと思うもん」

これまで、ご飯がのどを通らなかったことなど一度もないソラではあったが、この時ばかりは、本当にそう思った。

それまで沈んでいたセイジの瞳が、はっきりとわかるくらいパッと輝く。

「ありがとう!ソラがついていてくれるなら、妹だって、百人力だよ」

正確には、「パットマンがついていてくれるなら」ということなんだろうけど、セイジの素直に喜ぶ顔を見て、ソラもうれしくなった。

そうだ、この感覚、被災地で人命救助にあたってた時と同じだ。あの時の、心の中がふわっと明るいもので満たされていくような温かい感覚。

けれども、今のうれしい気持ちは、それ以上だと思う。なぜ、それ以上なのかと言えば、・・・たぶん、それは、セイジが笑ってくれたからだ。

「話は決まり!放課後になったら、妹さんを紹介して。わたし、顔わからないから」

「うん。それなら、家に案内してもいい?学校が終わると、おばさんが車で妹の送り迎えをしてくれているんだ。放課後なら、先に帰ってると思う。名前は、ユカ」

「ユカちゃんね。わかったわ」

アラームが鳴らないのに、変身ベルトを作動させていいものかと疑問を感じないわけではなかったが、これも、れっきとした人助けだ。あの小難しい老師様だって、文句は言わないだろう。

そんなわけで、相変わらず午後になってからもパットマンのうわさでもちきりの(今日一日、すべての先生が授業中にパットマンの話を持ち出してきた)学校が終わり、ソラは、さっそくセイジの自宅に向かった。

校門をひとりで出たのには、訳がある。中学二年生の女子が男子と、それも、セイジと並んで下校したりしたら、たちまち、噂になってしまう。噂は、パットマンだけで十分だから、これ以上のスキャンダルは避けたいのだ。

あらかじめ決めてあった、学校から一キロほど離れた公園で待ち合わせ。セイジの自宅は、そこからすぐだという。

ソラが公園にたどり着いた時、セイジの姿は、まだ、そこにはなかった。教室を出るタイミングもずらしていたため、セイジは後から来ることになっている。

公園は、学校の運動場を一回り小さくした程度の広さがあったが、人影はまばらだった。ちょっと離れたところで小学校低学年くらいの子供たちが遊んでいるくらいだ。

ソラは、水飲み場の傍らにあるベンチに座って、セイジがやってくるのを待つことにした。

こんなふうにひとりで公園に来ることなんて、滅多にない。中学生になってからは、一度もなかったのではないか?

木々を見上げれば、その先には、うろこ雲の浮かぶ水色の空。小鳥がさえずり、国道を走る自動車の騒音は、はるかかなたでわずかに響いているだけだ。

まったりだわ~と、いつものまったり癖が出たところで、早くも眠気を催し始めたソラの耳に、ちょっと耳障りな人間の声が聞こえてきた。

子供の声である。声そのものが耳障りなわけではなかったが、話している内容が引っかかった。

「ほ~ら、おまえも、ボール蹴ってみろよ。蹴れるんだろ?」

声がしているのは、ソラが来る前から公園にいた小学校低学年くらいの子供たちのいる方だ。ちょっと見た目には、仲よく遊んでいるように思われたが、どうも様子がおかしい。

よくよく見てみれば、数人の男の子たちの中にひとりだけ女の子が混じっている。髪をおさげにしたその女の子は、・・・車いすに乗っていた。

あれ?車いす?女の子?まさかとは思うが、まさかかもしれない。セイジの自宅は、この近くにあるという。

男の子たちは、サッカーボールを転がしながら、女の子に話しかけている。その中のひとりが、女の子の手を引っ張って車いすから立たせようとした。

「だめ!こわい!」

「こわくなんかないよ!どうせウソッこなんだから」

「ウソッこじゃないもん」

「どこも悪くないんだから、ウソッこだよ。本当は立てるくせに」

あ?ああ~これって、もしかしていじめ?

小さな子供たちだからかわいいなあなんて油断していると、そこには、大人の世界と同じように弱肉強食の人間模様が存在していたりするものだ。

女の子は、泣き出しそうになっている。それを見た男の子たちは、ますます意気盛んになって、女の子を車いすから引きずり降ろそうとする。

「こら~っ、待ちなさ~い!」

これが、不良中学生や高校生だったら、ソラもこわくて飛び出せなかったかもしれない。でも、相手は、小学校低学年。ソラの方がずっと体が大きいし、何人でもかかってきなさいってなもんだ。

「もう、男の子が寄ってたかって女の子をいじめちゃだめでしょ!こわがってるじゃない」

「あん?」

「君たち、どこの子?お母さんに言いつけちゃうよ」

ふふん、いじめっ子とは言っても、所詮は子供。お母さんに言いつけちゃう攻撃は、かなりこたえるはずだ。が・・・。

「なんだよ、おばさん」

「お、おばさん?」

「子供のことに、おばさんが口突っ込むなよな」

「は、はい?」

ソラは、思いがけない反撃にぽかんとなってしまった。

今の、目の前にいる坊ちゃん刈りの男の子が言ったんだよね?このあどけない、小っちゃい口から飛び出した言葉だよね?

「聞いてんの?おばさん」

たちまち、体中が熱くなった。

ううう、かわいくない!ぜんっぜん、かわいくない!

「もう、こんなかわいいお姉さんに向かって、おばさんなんて言っちゃいけないの!おばさんにも、おばさんって言っちゃいけないの!」

「なんでだよ~、おばさんだからおばさんでいいじゃんか!」

「ぬぐぐぐぐっ」

思わず、「このガキ、締め上げたろか?」と手を上げたくなったが、いやいや、待てよ?こんな子供相手にケンカしても、こっちが不利になるだけだ。いじめっ子をやっつけるはずが、逆にこっちの方がいじめっ子のレッテルを貼られてしまう。

えっと、こういう時はどうすれば?どうすれば?どうすれ・・・。

ソラは、「はっ」と気がついた。恐らく、車いすの女の子は、セイジの妹のユカに違いない。だったら、初めからやることは決まっていた。

「ちょっと、待ってね!」

ソラは、男の子たちに告げて、ダーッと公園の外へ駆け出した。人目につかない場所を探してみたが。どこにもない・・・。

しかたないから、車が通れないような狭い路地に入って、コインサイズになった変身ベルトをポシェットから取り出した。通常サイズに戻してから腰に巻き、大きな声を出せないから、ひそひそ声で「へんし~ん!」をやる。

「あれ?なんか、光らなかった?」

ソラから待ってるように言われて、何が何だかわからないでいる男の子たちは、どこからともなく目に飛び込んできたまぶしい光に、一瞬、顔をしかめた。

「雷?」

「ぼく、雷嫌い」

「おれも~」

そんなことを言い合っている。

ユカと思しき女の子も、不思議そうに空を見上げていた。その視界に小さな人影が映る。

「あっ」

小さく叫んだユカの声に、男の子たちも、いっせいに顔を上に向けた。そこには、鳥のようで鳥ではない何かが浮かんでいる。

「鳥だ!」

「飛行機だ!」

指さしながらお決まりのセリフを吐く男の子たちだったが、すぐに様子がおかしいと気づいたようだ。だって、犬かきをしながら空を飛ぶ生物なんて、見たことも聞いたこともない。

「フハハハハ!驚いているな、少年たちよ!」

テレビでも紹介されていた野太いおじさんの声が、天から降ってきた。その言葉に、パッと目を輝かせる男の子たち。

「もしかして・・・」

「もしかすると?」

たっぷり引きつけてから、いっせいに叫んだ。

「パットマン!」

そうなのだ。なぜ犬かきなのかはわからないが、今話題の正義のヒーローが、自分たちの目の前にやってきたのだ。

「うわあ、本物だ!」

「本物のパットマンに会っちゃった!」

男の子たちが色めき立つのも、無理はない。

パットマンは、地上に降り立つと、どういうつもりかボディビルダーのようなポーズをいくつも決めながら言い放った。

「よい子の諸君!わたしが、人気沸騰、全国百万のギャルから大人気のパットマンのおじさんだよ!」

おいおい、全国百万のギャルから大人気って、いつから、そんなことになった?

パットマンの口から勝手に飛び出す妄言に、思いっきり突っ込みを入れたソラだったが、もはや、パットマンの性格はわかっている。ここは、ひとつ、パットマンが何を言い出すか聞いてやろうと思った。

「君たち、車いすの女の子を無理やり立たせようとしてはいけないな。悪い子は、このパットマンがお尻ぺんぺんしてやるぞ」

おや?パットマンのくせに、案外、まともなことを言ってる?今時、お尻ぺんぺんは、いけないことだけど。

不意を突かれたソラだったが、男の子たちも、負けてはいない。

「だって、この子、ウソついてるんだもん。歩けないふりして、体育の授業とかさぼってるんだもん」

「ウソをついている?本当かい?」

パットマンは、緊張した面持ちでこぶしを握り締めているユカに視線を移した。ユカは、今にもあふれ出しそうなほど、目にいっぱい涙をためて、首を大きく横に振った。

「ウソなんかついてないもん!本当に歩けないんだもん!」

「だったら、どうして歩けなくなったか言ってみろよ」

「それは・・・」

「ほうら見ろ。答えられないじゃんか。やっぱり、ウソッこなんだ」

言いよどむユカを見て、男の子たちは、勝ち誇ったように騒ぎ立てた。ユカは、くやしそうに唇をかみしめている。

だが、どちらが真実を物語っているかは、ユカの思いつめたような目を見れば明らかだった。パットマンは、軽くうなずくと男の子たちに向かって言った。

「君たちは、この子が歩けると決めつけているようだが、だれか、この子が歩くところを見た者はいるのかい?」

「え?見てないけど・・・」

たちまち、男の子たちは、言いよどんだ。

ソラには、わかる。ユカは、自分の兄が起こしてしまった火災のことを隠しておきたいのだと。だから、歩けなくなった理由を明かすことができないでいる。

「だれも見ていないのに、どうして、この子が歩けると言い切れるのかな?」

「・・・・・」

「わたしが見たところ、この子は、本当に歩けないのではないだろうか?車いすなんて、正当な理由がない限り、簡単に与えてもらえるものではないぞ」

なんと、今日のパットマンは、ごくごく普通。ソラ自身でも言いそうな物言いをしている。と言うか、昨日までとは打って変わって、自分の意志で言葉を紡いでいるような気がする。

「いいかい、みんな。人はね、心の働きしだいで歩きたくても歩けなくなることがあるのだよ。大切なのは心なのだ。わたしの言ってること、わかるかな?」

憧れのヒーローの言葉に、男の子たちはうなずいた。パットマンが言うのだ。なんだって、正しいに決まっている。

「君たちは、心なんて形のないものだから、いくら傷つけても大丈夫だって思ってるかもしれない。でも、違うの。心の傷は、体の傷といっしょで、なかなか治らないの。ううん、体の傷より治らないかもしれない」

ソラの口調は、しだいに滑らかになっていった。語れば語るほど、自分とパットマンが一体化していくのがわかる。ただし、語尾がおかしくなってきていることに、ソラは気づいていない。

「だから、ひどいことを言って相手を傷つけるのは、とてもいけないことなのよ。もしも、自分が同じ立場になったら、とても悲しくなるでしょ?自分がやられて嫌なことは、決して、人にやってはいけないのよ」

「はい・・・」

やっぱり、子供は子供。素直にうなずくところは、とてもかわいらしい。

ソラは、考えたのだ。ソラ自身が説得するよりも、パットマンの口から過ちを語ってもらえば、きっと、男の子たちは言うことを聞いてくれるに違いないと。

そして、その思惑は当たった。男の子たちは、ユカを振り返って、「ごめんね」とか「もう、ウソッこなんて言わないよ」とか、それぞれにあやまり始めた。

もう、なんて感動的な光景!こんなにあっさりと問題解決できるなんて、パットマンは、腕力以外でも偉大な力を発揮できるのだ。

ただし、ソラは、パットマンの言葉がおかしくなってきていることに、ここへ来ても気づいていない。つまり、パットマンのしゃべり方が、すっかり女と化していることに。

「じゃあ、みんなで仲直りの握手をしましょう?もう、わたしったら、平和の女神様みたい、うふふ!」

「・・・・・」

男の子たちの目が点になっている。中には、ぽっかりと口を開けている子もいる。その様子を見て、ソラは、ようやく空気の異変を感じ取った。

(あれ?今のって、わたしがしゃべった?それとも、パットマン?なんだか、女言葉になってた気がするけど・・・)

ハッと我に返ると、男の子たちは顔を見合わせて、ひそひそ声で話し合っている。

「パットマンって、女だったのか?」

「バカ、マンってつくから男だよ。女なら、パットウーマンってなるはずだ」

「ふうん、それ、英語?日本語なら、パット男とかパット女になるのかな?」

やばい、やばい、やばい!いつから、パットマンとわたしの言動がひとつになった?

今なら、思ったことをそのまま口にできる。パットマンが、勝手にパットマン語に変換したりしないから。

それが良いことなのか悪いことなのか、少し微妙ではあるが、ちゃんと自分の意志が伝えられるわけだから、まあ良いことなのだろう。

しかし、気をつけなければならない。これからは、男のようなしゃべり方を心がけないと、「新事実!パットマンの正体はトラジェ(トランスジェンダー)だった!」という見出し記事が週刊誌やスポーツ紙に掲載されてしまうことになる。

「み、みんな、握手できたね?それでは、今日は解散!ユカちゃんは、このパットマンが家まで送っていくわ。じゃなかった!送っていくよ」

これ以上のボロが出るのを恐れたソラは、勝手に解散宣言をして男の子たちを家に帰らせようとした。

普通なら、知らないおじさんにユカのような小さな女の子を預けるなんて、もってのほかだが、相手がパットマンとなれば、話は別である。男の子たちは、今度はゲームで遊ぶのだと言って、公園から元気に飛び出していった。

帰り際に「パットマン、また来てねえ!」なんて、無邪気に手を振っていく子がいる。それから、「歩けないのを疑って、本当にごめんな」と、ユカに対してあやまる子もいたりした。

ユカは、振り返って顔を上げると、パットマンににっこりと笑いかけた。

「ありがとう、パットマン。助けてくれて」

ユカは、キラキラした瞳でパットマンの顔を見つめている。

「え?いやあ、助けただなんて!弱い者いじめが許せなかっただけよ。じゃなかった!許せなかっただけさ」

「うふふ、パットマンって、おもしろい人だったのね」

「おもしろい?」

「なんか、無理して話してるって感じ」

ううう~っ、完全に見透かされてるよ~っ。

しかも、次の一言、「でも、パットマンって、どうしてわたしの名前知ってるの?」という問いに、ソラは、この子、あなどれないとタジタジになった。

そうだった。ユカという名前はセイジから聞いたのであって、初対面のパットマンにわかるはずがないのだ。

「パ、パットマンに不可能などないのだよ。その・・・念力でユカちゃんの頭の中をのぞかせてもらったのさ」

「へえっ、そんなこともできるの?すごいなあ!」

「ま、まあね・・・」

小さな子供にウソをつく後ろめたさ。わたしって、まだまだ、パットマンとしての腹が座ってない。

そこへ助け舟を出すかのように、遠くからセイジの声が聞こえてきた。

「お~い、ユカぁ!」

「あっ、お兄ちゃん!」

この小さな女の子の大きな表情の変化に、ソラは、ハッと胸を突かれ、それからなぜか感動した。

世界の中で唯一安心できる存在を見つけた時の、本当にうれしそうな目。その目は、気のせいか、セイジのそれとよく似ていた。兄妹だからね。当然と言えば、当然かもしれないけど。

セイジは、走りながらユカの前までやってきて、そこで、今気づいたというように、急に大げさなポーズをとった。

「おわあっ!」

それは、つまり、パットマンを見て驚いたということを表現したいのだろうけど・・・。下手だよ、君。演技が下手すぎる。

「なんと、あなたは、かの有名なパットマンではないですか!」

「はい・・・」

「いじめっ子たちの手から妹を守ってくれて、ありがとう!」

「はあ・・・」

まるで、遠くからこちらの様子を見ていたかのようなセイジの口ぶりに、ソラは、その通り、一連の事柄を遠くから見ていたに違いないと思った。

きっと、ハラハラしていただろうし、その後は、ホッとして力が抜けてもいるのだろう。今、パットマンの存在に気づいたはずなのに、パットマンに妹を守ってくれた礼を言う矛盾が、ちっともわかっていないみたいだ。

「お兄ちゃん、みんながね、あやまってくれたんだよ!もう、ウソッこなんて呼ばないって、言ってくれたの」

「そうか、ユカ、よかったなあ!」

妹を抱き寄せ、心の底から喜ぶセイジの姿を見たとたん、ソラは、・・・なってしまった。

そう、なってしまったのだ。あのキュ~ンって言われているやつに。クラスの女の子たちが、恋バナに花を咲かせている時にたびたび登場する、魔法の呪文キュ~ン。

うん?何?この感覚?この胸の奥が痛いような、くすぐったいような、落ち着かない感じは何なの?

「・・・えっと、お兄ちゃんが来てくれたから、わたしは帰るよ」

「え~っ、もう、行っちゃうの?」

「う、うん。困っている人が他にもいるはずだからね。パットマンが助けに行ってあげないと」

心底、残念そうなユカの顔を見ると、ソラの心にも、もう少しこの車いすの少女のそばにいたいという気持ちがわきおこった。

ユカのそばにいるということは、セイジのそばにいるということでもある。今感じたばかりのキュ~ンが、少なからず影響してもいた。

「それでは、さらばだ!」

そう言って飛び上がったものの、見えないところまで行ったら元の姿に戻って、すぐにここへ戻ってこようと思った。が、そこで気づいた。

(あれ?わたし、普通に飛べてる?)

その通り、パットマンは、さっきまでの犬かきではなく、これまで多くのスーパーヒーローたちがやってきたような、両腕をまっすぐに伸ばしたかっこいいポーズで空中に浮いていた。言葉の問題もそうだが、急にパットマンが自分に馴染んできたような気がする。

ソラは、一気に遠くまで飛び去ったように見せかけてから、こっそりパットマンに変身した路地裏まで引き返し、そこで、普通の女子中学生の姿に戻った。だれにも見られていないことを確認してから、何気ないふりをしてセイジとユカのいる公園に入っていく。

「あれ?こんなところで何してるの~?」

さっきのセイジよりは、よほど自然な演技だと思う。

でも、「もしかして、妹さん?」なんて、今初めて会ったかのような口ぶりでセイジに尋ねた時、ユカは、小首をかしげて、じっとソラの顔を凝視していた。まるで、ソラとパットマンを見比べているかのように。

「何?わたしの顔に何かついてる?」

「ううん、何でもない。お姉ちゃん、お兄ちゃんのお友達?」

「そうよ、同じクラスメイトなの。中河内ソラっていうのよ」

「そうなんだ。よかった、お兄ちゃんにお姉ちゃんみたいなかわいいお友達がいてくれて」

かわいい?今、かわいいって言った?

ユカの言葉に思わずニンマリのソラだったが、それよりも、強く心を動かされたことがある。それは、ユカから放たれているオーラのようなもので、こんな小さな女の子なのに、まるで、セイジの母親から声を掛けられたみたいな奥深さを感じるのだ。

見た目は子供でも、なんだか大人と会話をしているかのよう。そんな印象が、セイジの妹には、天性のものなのか、それとも両親を失ったことが影響しているのか、とにかく、しっかりと備わっていた。

「あなたは、ユカちゃんっていうのよね?お兄ちゃんから話を聞いてるの。ユカちゃんこそ、とってもかわいいよ。お兄ちゃんとは違って」

けっして、お世辞で言ったのではない。

「その、お兄ちゃんとは違ってって、なんだよ?」

ふくれっ面をしているセイジを横目に見ながら、ソラとユカは一緒に笑った。その時のユカの笑顔が、ずいぶんメルヘンチックな表現だけれど、タンポポの花が開いたようで本当にかわいらしかった。

こんないい子がどうして・・・?

ソラは、疑問を持たずにいられない。どうして、ユカみたいないい子が、火事で両親を失い、さらに歩けなくなってしまうという悲劇に見舞われなければならなかったのだろう。

その思いは、セイジから火事の事実を聞かされた時にも抱いたものだったが、今は、さらに強い無念さに心をかき乱される。ユカが、あまりにもできた子供だったから。

この子、わたしより、ずっと神様から祝福されるべき人間だ。こんな子が歩けなくなってしまったなんて、絶対に何かが間違っている。

「そうだ、いいものあげる」

ソラがお得意のキャンディーをポケットから取り出すと、ユカは、「わたしも」と言って、肩から掛けたポシェットに入れた一口サイズのチョコレートをソラに渡した。

チョコは、日差しを浴びたせいで少し溶けていたが、本来の甘さ以上に甘みが感じられた。たぶん、砂糖菓子のような、ふわっとしたユカの雰囲気が甘みを増幅させたのだと思う。

ああ、なんて汚れのない女の子なんだろう。そうよ、天使よ、天使!この子は、天使に違いない。もしかしたら、この子の背中には翼が生えているかもしれない。

そんなことを思いながら、セイジに視線を移したら、まるで心の中を読み取られているかのような優しげな目で見つめ返された。

よかった。セイジの妹をいじめの世界から解放できて、本当によかった。でもね・・・。

ソラは、ちょっぴり思う。

こうして、ユカをいじめっ子たちから守るという任務は、実行に移したその日のうちに完了したが、あまりに話がうまく進みすぎてこわいほどだった。生意気ないじめっ子たち相手に、ほとんど手こずることもなかったのだ。

こんなに簡単でいいのかなあなんて、能天気なソラでも、さすがに首をひねってしまう。

まあ、いいか。パットマンがやったことだし、パットマンになれば、なんでもできるっていうことなのね?

やっぱり、パットマンは、どんな子供にとっても正義のヒーローなのだ。老師様から変身ベルトを渡された時は、あんなにパットマンを嫌っていたはずなのに、今は正反対になりつつある。

パットマンって、最高じゃない?パットマンって、パーフェクトだよね?正義のヒーローも、悪くないかもしれないな。