夜の森って、結構いろんな音がする。
風に揺られる草木の音や、得体の知れない生物の鳴き声。遠く、鉄橋を渡る電車の警笛も聞こえてくる。今夜は月がないから、余計に暗いのかもしれない。
ソラは、びくびくしながら歩みを進めたが、その恐怖感は、幽霊がこわいといった他愛のないものから、やがて、もっと現実的なものへと変化していった。
この先に、UFOが着陸しているかもしれないのだ。きっと、いる!だって、蛇行しながら森の中に消えていった謎の光を、ソラは、確かに目撃しているのだから。
もしかしたら、あれは墜落だったかもしれない。だとしたら、見たこともないような形態をした宇宙人が、うめきながら地面にころがっている可能性もある。
そしたら、どうしよう?やっぱり、救急車を呼んであげるべきだろうか?
でも、なんて通報すればいいのか、ソラにはわからない。事故にあった宇宙人がケガをしているから、救急車を一台お願いします。そんなこと言ったところで、いたずら電話と勘違いされて切られるのが落ちだ。
ソラの妄想は、どんどんふくらんでいく。人間は、暗い場所にいると、悪いことばかり考えてしてしまう生き物らしい。
だが、そんなソラの妄想は、背後から聞こえてきたパキッという木の枯れ枝が折れる音によって、たちまち吹き飛んでしまった。
だ、だれかいる?見たくはないけど、振り返る。
「うひっ!」
両手を上げて、思いっきり大げさなリアクションを取ってしまった。
「うひぃぃぃっ!」
懐中電灯を放り投げてしまわなかっただけ、偉かったかもしれない。
ソラの瞳には、もうひとつの青白い光が映っている。幽霊を呼び出す光。イコールLEDライトの光。
「だ、誰!」
ホラー映画の主人公になった気分だ。
こわい!こわいよ~っ!わたし、殺されちゃう!宇宙人につかまって、体のエキスを全部抜き取られちゃう!体のエキスって、どんなものかわからないけど。
「誰なのよ!」
立て続けに怒鳴りつけたら、相手のライトもあわてたように上下に揺れた。
「落ち着け!何もしないから、落ち着け!」
声が、少し上ずっている。が、この声、どこかで聞いたような。
「おれだよ、おれ!磯谷セイジ!わかるだろ?」
「はっ?」
「同じクラスの磯谷セイジだよ。この前、いっしょに家の鍵探したじゃんか」
「・・・・・」
恐る恐る声のする方へライトを向けてみると、まぶしそうに顔をしかめている少年の姿が浮かび上がった。
「ウソでしょ?なんで、こんなところに・・・」
待て待て、だまされてはいけない。宇宙人が変身している可能性だってあるのだ。
「あなたが、セイジ君だっていう証拠は?」
「証拠?見りゃあ、わかるだろ?」
「う、う、宇宙人が・・・宇宙人が変身してるかもしれないでしょ!」
とうとう言ってしまった。これでは、わたしは宇宙人の存在を信じていますって、宣言しちゃったも同じである。
もう、終わりだ。中河内ソラは、実は宇宙人の信者でしたって噂が、クラス中に広まっちゃう。
「な、何よ?なんとか、言いなさいよ!」
セイジからの返事はない。
「もうっ、何でもいいから答えてよ!」
思わず、涙声になってしまった。すると・・・。
「・・・すごいな」
泣きそうになっているソラのことがわかっているのかいないのか、セイジは、唖然としたようにつぶやいた。その言葉に、ソラもぽかんとなる。
「すごい・・・?」
「そうだよ、すごいよ。おれ以外にも、本当に宇宙人を信じてるやつがいたんだ」
「・・・・・」
今度は、ソラが唖然とさせられる番だった。「おれ以外にも」って言うからには、「おれ」も宇宙人を信じているってことになる。
「マジで言ってるの?」
「マジで言ってるよ」
「この宇宙には、わたしたち以外にも知的生命体がいて、地球にもやってきていると?」
「もう、絶対だね。みんな知らないけど、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』は、実話をもとにしたノンフィクションなんだ」
いやいや、あれは完全なフィクションでしょ?アメリカのラジオで初めて「宇宙戦争」が流された時、リスナーの間でパニックが起こったっていう都市伝説はあるけど。
くそ真面目に語るセイジには、さすがについていけないが、ソラは、心の中で勝どきを上げた。
やったー!とうとう、見つけた!とうとう、わたしと同じUFO信者と出会うことができた。しかも、こんな夜更けの森の中で。しかも、相手は同じクラスの男の子と来た!
「もしかして、セイジ君もさっきの光を見たの?変な動きをするUFOみたいな光」
「うん。あれは、もう、UFOに間違いないって。おれ、家の窓を開けて見てたんだ」
「わたしも。わたしも、ベランダで天体望遠鏡のぞいてたら、すごい光が近づいてきて・・・」
二人の会話は、やや興奮気味に進んでいく。
だが、語るべきことは、あまり多くない。蓄積されたUFOや宇宙人の情報を語り合うなら、明日以降、いくらでもできる。今は、目の前のUFOだ。
二人は、無言でうなずき合うと、さらに森の奥へと歩き出した。
「二人でよかったあ。わたし、ほんとはこわがりなの」
「おれだってそうだよ。ここまで自転車で来たんだけど、中河内が森に入っていくのが見えたんで、後を追いかけたんだ」
「その中河内って、やめてくれない?ソラでいいよ」
「ソラか。その名前、いいな」
「ほんと?」
「ほんと。おれのことも、セイジって呼び捨てでいいから」
自分の名前を褒められて、思わずうれしくなってしまった。セイジは、お世辞を言うような人間ではないから、恐らく本心と受け取っていいだろう。そう思うと、余計にうれしくなる。
それにしても、まさか、クラス一の問題児とこんなに親しげに会話をする日が来るとは、今の今まで考えたこともなかった。
これは、神様の仕組んだ巡り会わせだろうか?それとも、宇宙人が仕組んだものかもしれない。
どういうわけか、ソラの前にいる時のセイジは、極めて自然体だ。先生やクラスの男子たちの前でとるような、いきがったしぐさは、ひとつも見られない。
家の鍵をいっしょに探してもらった時もそうだったが、むしろ、すごく親しみやすさを感じさせる。これって、いったい・・・?
しばらく歩き続けるうちに、前方からぼんやりとした明かりが見えてきた。
とは言っても、夜空に浮かんでいたUFOが放っていた、カラフルで鮮やかなものではない。雲に反射した街の明かりによって、金属製のものが闇に浮かび上がっているといった感じだ。
そう、前方に何かある!
「もしかして、もしかする?」
「ああ、こいつはビンゴに違いないよ。不時着したのかもしれない」
二人が忍び足で光の差す方向へと分け入っていくと、その先には、信じられない光景が待っていた。
ああ、これだ!これ、UFO大辞典で見たことがある!UFO大辞典って、小学生向きの実にインチキ臭い大辞典だけど。
ソラとセイジの前に傾いた状態で横たわる金属の塊。それは、UFO大辞典に載っていたアダムスキー型円盤というやつに違いなかった。
でも、様子がおかしい。アダムスキー型円盤は、こんもりと膨らんだ円盤の上に家のような構造物がくっついたUFOの代表格だが、今、二人の目の前にある物体は、どう形容しても、掘っ立て小屋、もしくは朽ちかけた屋形船のようにしか見えなかった。
しかも、あちらこちらに継ぎはぎのようなものがあって、とても、宇宙の彼方からやってきた代物とは思えない。
「うわあ・・・」
ソラがため息をもらせば、セイジも複雑な表情を浮かべて苦笑いした。お互いに何となく寄り添ってしまう。
「これが、UFO・・・?」
「あ・・・ああ・・・」
「もしかして、がっかりしてる?」
「えっ?ま、まさか・・・。そんなことないよ」
ああ、がっかりしてるんだと、ソラは思った。だって、わたしもがっかりしてるもの。
そりゃ、そうよね。夢にまで見たUFOとの初対面だもの。クリスマスシーズンに町を彩るイルミネーションみたいに、心躍る美しいものであってほしかった。
「これって、やっぱりUFOなんだよな?」
「う~ん、これまでの経緯から考えると、そういうことになるけど、なんかねえ」
「乗り捨てられたポンコツ車を見せられてる感じ?」
「あっ、そう。ポンコツ、ポンコツ」
「だよな。表面の金属だって、ブリキみたいだし」
こんな貧相な素材で、大気圏に突入できるものだろうか?
大気圏外へ飛び出したロケットが地球に帰還する場合、その表面温度は、スピードや角度にもよるが、数千度に達するという。
それは、機体前方の空気が圧縮されるためであり、こうした過酷な条件に耐えうる高度なテクノロジーに支えられていなければ、ロケットは、たちまち大気中で燃え尽きてしまう。つまり、流れ星と同じだ。
今、目の前にあるUFOと思しきものが、そんなすごい性能を備えているとは、とても信じられない。
「ちょっと、たたいてみようか?」
言うと同時に、セイジが握ったこぶしを軽く当ててみる。カア~ンという、なんとも薄っぺらな音。
次にソラがスニーカーのつま先で突いてみると、危うく穴が開いてしまうんじゃないかという感触が伝わってきた。
「壊れそう」
「えっ、ホントに?」
そう言いながら、セイジも蹴ってみる。
「やべっ、少しへこんだ?」
「うそ?あ、でも、そうかも」
二人で「やばい、やばい」を繰り返しながら、あっちこっち、たたいたり蹴ったりしてみたが、UFOは何も反応しない。
もしかしたら、本当に壊れちゃってるんじゃないかと思ったその時、背後の暗がりで何者かが怒鳴った。
「コラッ!わしの愛車に何するんじゃ!」
心臓が口から飛び出しそうになるとは、まさに、このことだ。ソラもセイジも悲鳴をあげて振り返り、思わずUFOのてっぺんまで駆け上がってしまった。
「キャァァァ!」
「うわぁぁぁ!」
しかし、悲鳴をあげたのは、二人だけではない。怒鳴った本人まで、あげている。
「な、なんじゃ!でっかい声出しおって!びっくりするじゃろうが!」
見れば、相手は老人。それもぼろ布をまとった怪しげな出で立ちで、髪はボサボサ、仙人が持っているような杖までついている。
「だ、誰?」
ソラが顔を引きつらせて問いかけると、老人は、杖で地面をたたいて、また怒鳴った。
「それは、こっちのセリフじゃ!おまえらこそ、何者だ?どっから来た?」
この見るからにうさん臭い老人、こうやって日本語で会話できるし、格好はおかしくても、宇宙人には見えない。
「おれたちは、地元の中学生です。夜空に現れた不思議な光を追って、ここまで来たんです」
「なんじゃと?」
「ほら、この変な乗り物。これ、UFOですか?」
男の子ってすごい!もう、この異常な状況に馴染んじゃってる。
ソラは、早くも落ち着きを取り戻しているセイジを横目に見て、尊敬のため息をもらした。こっちは、まだ、心臓がバクバク鳴っている。
「ほう、中学生か。この星では、まだ未成年ということじゃな?」
老人は、白髪交じりのあごひげをなでながら、吟味するようにソラとセイジを見比べている。UFOについての問いには答えていないが、「この星では」という言葉が引っかかる。
すると、老人は、急にクツクツと含み笑いをもらして近づいてきた。
「未成年と言っても、中学生ならいいじゃろう。おまえたち、わしが遠い銀河の外れからやってきたと言ったら、信じられるかな?」
なんだか、口調が急に尊大になった。ソラとセイジは、反射的に答えた。
「いいえ、まったく」
「おれも同じです」
「なんじゃと!」
こういう老人は、すぐに切れるから性質が悪い。
つまるところ、この森に巣くうホームレスに違いない。それも、銀河の外れからやってきたというから、かなり行っちゃってる。
「ねえ、おまわりさん呼んだ方がいいよ。それか、救急車。病院に連れてかないと」
「認知症って、救急外来で受けつけてくれるかな?」
「さあ?」
ソラとセイジが真顔で相談しているのを見て、老人は、さらに激高した。
「病院って、なんじゃ!わしは、これっぽっちもボケてなどおらんわい!」
大体、ボケた人間は、自分はボケてないと言い張るものだ。
このままではらちが明かないと思ったのか、老人は、杖を高く掲げて怒鳴った。
「ならば、これを見るがいい。わしの言葉にウソ偽りのないことを証明して見せよう」
すると、何をどうやったものか、UFO全体が電気スタンドのように輝き、赤や青の光を点滅させ始めた。夜空にフラフラと浮かんでいた、まさしく、ソラとセイジが目撃したのと同じ光。
「おおっ、こ、これは!」
ソラとセイジが、同時に叫ぶ。とは言うものの・・・。
「ぬはははっ、思い知ったか!このスーパーテクノロジーの力を!」
たしかに見た目はよくなった。とはいえ、ただ光っているだけにすぎない。それも、安っぽいネオンサインみたいに。
「・・・えっと、これが何か?」
下手なことを言うと、また怒鳴られそうなので、ソラが恐る恐る尋ねてみる。すると、老人はひどく気落ちしたように、ため息をつきながら答えた。
「まだ、わからんか?光った途端、材質が変化しとるじゃろうに」
そう言われて、自分たちが乗っているUFOに手で触れてみると、たしかにさっきまでのペコペコ感がない。すごく、頑丈になっている。
「材質が変化した?」
「そうじゃ、この星にはない技術じゃ。まあ、魔法とでも呼べばよいかのう。わしが杖をふるえば、こういうことになるのじゃ」
「ふうん・・・」
結局、老人の持っている杖がリモコンになっているだけのような気もするが、そこを指摘すると、やっぱり怒鳴られそうなので、不問にしておく。
それでも、この技術はすごい。すごいみたいな気がする。
「材質が変化するって、化学変化みたいなことが起こっているということですか?」
「そうじゃ。この技術を応用すれば、たちまち、どんなものでも作れるし、大きくしたり小さくしたりすることもできるのじゃ」
「どんなものでも?」
セイジの驚いた顔に気をよくしたのか、老人は、フンと鼻を鳴らして、ほんの少し笑顔になった。笑ってみたら、なんか急にかわいいおじいちゃんになった。
「しかし、考えてみると、おまえさんたちがやってきたのは、よい兆しじゃな。運命を感じるぞい」
「・・・・・」
老人の言葉に、ソラもセイジも無言になる。例え憧れの宇宙人だとしても、この汚いじいさんに運命など微塵も感じない。
「まあ、そんな顔をするな。まだ、名前を名乗ってなかったのう。わしは、ゲンセキじゃ。皆からは、老師様と呼ばれておる」
「ゲンセキって、たしか、古代中国に同じ名前の人がいたような・・・」
セイジの鋭い突っ込みに、ゲンセキ、いや、老師様が、いきなりグッとつまる。
「おまえ、なかなか博識じゃな。いやあ、感心、感心。そうか、地球にも、わしと同じ名前の者がおったか、ハハハ」
笑ってごまかそうとするところが、どうにも、うさん臭い。
「と、とにかく、わしのことは老師様と呼んでくれればよい。よいか、ちゃんと『様』をつけるのじゃぞ」
「はあ・・・」
なんか、めんどくさいのに引っかかっちゃったなという気がするが、一応、ソラとセイジも、本名を名乗る。
すると、老師様は、あごひげをなでながら、「ソラとセイジか。宇宙を連想させる良い名じゃな」と、うれしそうに言った。
ソラにしてみれば、名前を褒められたのは、今日だけで二回目。こんな、わけのわからない状況の中でも、ちょっとだけ、いい気分になる。
いささか抵抗はあるけれど、言われた通り老師様と呼んであげることにした。
「ところで、老師様。これって、本当にUFOなの?」
ソラが尋ねると、老師様は、「よくぞ聞いてくれました」とでも言いたげな様子で胸を張った。
「UFOというのは、地球人から見た言い方じゃろう。さっきも言ったが、これは、わしの愛車でフェラーリ君と呼んでおるものだ」
「フェラーリ君・・・」
「これも、ちゃんと『君』をつけるのじゃぞ。わしのかわいい相棒だからの」
この人、絶対に適当なことを言ってるとソラは思ったが、いちいち気にしていると話が先に進まないので、これもスルーしておくことにする。
「で、老師様は、このフェラーリ君に乗って宇宙の彼方からやってきたと?」
「そうじゃ。M78星雲からじゃ」
「はいはい、ウルトラマンが生まれたところね。そんな遠いところから、わざわざ何しに地球にやってきたの?」
もう、細かいことはどうでもいいから、本筋に入りたい。すると、老師様は、急に真顔になって声を低くした。
「実は、地球人、それもわしが見込んだ地球人に渡したいものがあってな。おまえさんたちは、今、この星がどういう状況に置かれているか考えたことはあるかな?」
「どういう状況って、環境問題のこと?温暖化が進んでいるとか、よく聞くけど」
「それもそうじゃが、こんなちっぽけな星がいくつにも分断され、互いに争っておるじゃろう。そのせいで食糧危機に陥ってる国や地域があったり、伝染病が蔓延して医療崩壊が起こったり。おまえさんの言う通り、環境問題というのもある。このままでは、戦争がなくとも、人間は滅んでしまうじゃろうが、それでも争うことをやめようとはせん」
ふむふむ、話がニュース解説でも聞いているみたいな感じになってきた。
たしかに老師様の言う通りで、現在の地球は、繁栄と絶滅の岐路に立たされている。世界中で残酷な戦争や事件が起きているのは事実だし、それでなくとも、今のままの大量生産、大量消費生活を続けていたら、そう遠くない将来、地球は干上がってしまうだろう。
「そこでじゃ、わしは、この星の住人を助けたいのじゃ。人間だけではない、動物や植物も含めて、この星のすべてをな。この尊い志、おまえさんたちにはわかるかな?」
「えっ?あ、はい。わかるような気がします・・・」
自分で自分のことを尊いと断言するあたりに、どうにも受け入れきれないものを感じるが、おおむね、老師様の言ってることは正しいだろう。ただ、そんなことを聞かされても、一介の中学生に何ができるわけでもない。
そう思っていたら、老師様が懐から何やら取り出してきた。銃のような物騒なものではないが、インパクトは絶大である。
「こっ、これは!」
再び、ソラとセイジが同時に叫んだ。懐にどうやってこんな大きなものが収まっていたのか不思議でならないが、もっと驚いたのは、それが幼児向けのおもちゃにしか見えなかったことだ。
「へ、変身ベルト!」
女の子のソラにもわかる、昔からある子供のおもちゃ。お面ライダーの変身ベルト。「変身!」と叫んで、「とおっ!」と飛び上がると、ベルトの中心についた扇風機みたいなのがクルクル回ったりピカピカ光ったりする、あの変身ベルト!
はたして何万人の子供たちが、このベルトを着けて変身ごっこをやってきたことか。もしかしたら、何十万人かもしれない。もはや、これは、おもちゃ界のロマン以外の何物でもない!
「・・・えっと、じゃあ、帰ろうか?」
セイジの言葉に、ソラもうなずく。
「そだね。こんな夜遅くにわざわざ出てきて損しちゃった」
二人仲よく老師様に背を向けると、「待ていっ」と叫ぶ変態老人の怒鳴り声が。
「ごめんね、おじいちゃん。現代の中学生は忙しいの。こういう遊びは、家でひとりでやってね」
「いやいや、待ってくれぇ!」
小さな子供みたいに、今にも泣き出しそうな老師様。まともに話を聞こうとした自分たちのバカさ加減に、ソラもセイジも笑うしかない。
「わしの言うことを聞いてくれぇ。ウソを並べ立てているわけではないのだぞ」
「わたしたちに、この変身ベルトを着けろって言うの?」
「そうじゃ、その通りじゃ」
「いやだと言ったら?」
「試しに着けてみればわかる。これは、決しておもちゃなどではないのだぞ」
さめざめとすがりついてくる老師様の哀れな姿に、ソラとセイジも歩みを止める。
「どうする?」
「どうしようか?」
これで、この変身ベルトがただのおもちゃだったら、自分たちは、本当のお人好しだ。
人がいいという言い方には、それなりに称賛が伴うが、お人好しという言葉には、バカという意味しかない。
「もう、わかったわよ。着ければいいんでしょ、着ければ。はい!」
そう言って老師様から変身ベルトを受け取ったソラは、そのままセイジに手渡そうとする。
「えっ、おれ?」
「当然でしょ?わたし、変身ごっこなんて、やったことないもん」
「そりゃ、そうかもしれないけど」
セイジは、しかめっ面をして渋っている。それを見た老師様が、意外なことを言った。
「そのベルトは、誰が着けてもよいのじゃ。男とか女とかは関係ない。それよりも、二心がないことが大切なのじゃ」
「二心?」
「おのれと正面から向き合う心じゃ。余計な野心を持たず、人々のために尽くそうとする心じゃ」
「そんなの無理。はい!」
「いや、わしの見たところ、おまえさんの方がそのベルトには合っておるじゃろう。だまされたと思って着けてみい」
どう考えてもこれはセイジ向きだと思ったが、早く帰りたかったので、とっとと着けて終わりにしようと考え直す。
「もう、なんでわたしが・・・」
ぶつぶつ言いながら、変身ベルトを腰に巻いてみる。思ったよりも軽くて、ちょっと驚き。着けた感覚がなくて、ずいぶんフィット感がいい。
「それで、どうするの?」
「赤いボタンがついておるじゃろう?そいつを押してから、あとはお決まりの『変身!』ってやつじゃ。言いながら、はいポーズ!」
「え~っ、そんなの、できないよ!ポーズわからないもん」
「なんでもいい。それっぽくやればいいのじゃ」
「ううう・・・」
花も恥じらう中学生の乙女に、なんて恥ずかしいことをさせるのだろう。これで、もし、何も起こらなかったら、ドロップキックを食らわせてやる!
そう心の中で決意しながら、言われた通り赤いボタンを押して、「へ~んし~ん!」とやってみる。
ポーズは本当にわからないから、記憶の片隅にある変身ヒーローを適当に思い浮かべることにした。本当に適当だった。が・・・。
思った以上に様になっていたのは、自分でも否めなかった。「へ~んし~ん!」と叫んだとたん、体の隅々にまで電流が流れた気がする。
電流は、熱い炎となって体の中で爆発し、ブルドーザーにでもなったような猛烈な力が全身にみなぎってきた。
何がおこってるのかと恐れおののく暇もないスピードで、ソラの体は変化していき、一回り二回りと大きくなっていく。着ていた衣服が形状を変え、真っ黒なアクタースーツになったかと思うと、背中には黒いマントが生えてきた!
「あわわわわ・・・」
セイジが、言葉通り泡を吹きそうになっている。その隣で老師様が、「あはははは」と軽快な笑い声を立てている。
「ろ、老師様。これって・・・」
ソラは、顔を引きつらせて叫んだ。そのはずだった。
けれども本人の耳に聞こえてきたのは、自分とはまったく違う野太い声。しかも、セリフが違う。
「フハハハハ!呼ばれて飛び出て、パットマン参上!」
パッ、パットマン?
「あはははは」
老師様は、相変わらず笑い声を立てている。
えっ?何これ?わたし、どうなってるの?
ソラが見下ろした自分の両手には、マントと同じく真っ黒な手袋がはめられている。しかも、胸には大きなPの文字。
「なかなか良い出来じゃな。そうじゃ、鏡、鏡・・・」
これまた、どこから取り出してきたのか、老師様が立鏡を持ってきて、ソラの前に置いた。その中に映っていたのは・・・。
「ぎゃああああっ!」
ジョーズにでも襲われたような絶叫が、森の中にこだました。
絶叫したのは、ソラである。少なくとも、ソラは、ありったけのお腹の空気を吐き出して叫んだつもりだった。
だが、実際は違う。ソラの悲鳴は、「ぬおおおおっ」という雄たけびとなって地を揺るがした。
何が起きているのか、さっぱりわからない。ひとつだけはっきりしているのは、立鏡に映った自分が、あろうことか黒いアクタースーツを着たおじさんになっていることだ。
深夜の森に、顔をマスクで隠した黒アクタースーツおじさん!どこからどう見ても、変質者以外の何者でもない。
「ろっ、老師様。これって一体・・・」
思い通りにしゃべれないソラに代わって、セイジがあわあわしながら口を開いた。すると、老師様は、こともなげに答える。
「わかったじゃろう。これが、変身ベルトの力なのじゃ」
「変身ベルトの力って、まさか、ソラが変身したってことですか?このパットマンってやつに?」
「そうじゃよ。おまえも見とったじゃろう。間違いなく、こやつはソラじゃ。これから地球のために戦うパットマンなのじゃ」
「そ、そんな・・・」
セイジが、愕然としてひざを折る。クラスメイト、それも身近な女の子の変わり果てた姿に涙を流して・・・。
「あはははは」
笑い出した。
「あはははは、どうだ、おもしろいじゃろう?」
「えっ、そんな、おもしろいだなんて・・・おれは、ただ・・・あはははは!」
「おまえ、自分の気持ちに素直になった方がよいぞ。あはははは。笑いたい時は、思い切り笑えばよい。あはははは!」
腹を抱えて笑い転げる男二人をにらみつけて、ソラだけが泣いている。
「うわーんっ!」
でも、その泣き声も、パットマンに変身した今となっては、ド迫力の雄たけびにしかならない。もう、こんなのイヤッ!絶対にイヤッ!
「どうすれば、もとに戻れるんですか?」
ひとしきり笑い転げてから、ようやく、セイジが尋ねてくれた。
「ベルトの解除ボタンを押せばいいのじゃよ。ほれ、赤いボタンの隣に緑のボタンがついとるじゃろう?」
(緑のボタン?あっ、これか!)
言われた通り押してみると、さっきとは真逆、全身から力を抜き取られたようになって、体が小さくなっていく。腕も足も細くなって、見る見るうちに元の中学生の女の子に。
「はあっ、はあっ」
あまりの衝撃に過呼吸になってしまいそうだ。
「な、何よ、これ!こんなもの女子中学生に着せて、あなた、やっぱり、ただの変質者でしょ?おまわりさあん!」
怒りが収まらないソラが食ってかかるも、老師様は、すましたものだ。
「まあまあ、そう怒るな。わしとて、おまえさんがどんな姿に変身するか、わからんのじゃから」
「へ?どういうこと?」
「そのベルトは、装着した者を本来の姿に変えるアイテムなのじゃ。装着した者の中にあるもの以外には変身しない」
「待ってよ。じゃあ、わたしの中に今のパットマンがいるってこと?あんな変質者みたいなのが?」
「そういうことじゃな」
「ウソよ!そんなの、絶対に信じないから!」
「まあ、そう言いたい気持ちもわかるが、そいつは、夢みたいなものじゃからな。時々、あるじゃろう?何でこんな夢を見たのかわからない、おかしな夢が」
そう言いつつ、もう一度、セイジと顔を見合わせる老師様。
「ムフッ」
「ムフフフフッ」
「うひひひひひっ」
「いひひひひひっ」
笑いをかみ殺している二人に、ソラの怒りが爆発する。
「笑うなっ!」
うえ~ん。わたし、もう、結婚できないよ~っ。こんなみっともない姿を人目にさらして、これから、どうやって生きていけばいいの?
なんて嘆いてみたが、考えてみれば、見られた相手は老師様とセイジの二人だけ。セイジは、今夜のことを学校で言いふらすような真似はしないし、言いふらす相手もいないだろうから、大丈夫かもしれない。
でもなあ~。ソラは、顔を上げて思いっきりため息をついた。
他のだれよりもセイジに見られたことに、いちばん恥ずかしさを覚えている自分がいるのは事実だった。セイジに見られたからって、そんな恥ずかしがる必要なんてないはずなのに。
「とにかく、これ返すから!大体、なんでわたしがこんなもの着けなきゃいけないのよ!」
ソラの怒りは収まらない。
ところが、変身ベルトを突き返そうとするソラをさえぎって、老師様は懇願するように言う。
「いやいや、それでは困るのじゃ。おまえさんには、これから起こる世界の危機を救ってもらわにぁ」
「はあ?さっきもそんなこと言ってたけど、わたし、世界を救うなんてことできないから!そういうのは、どっかの国の大統領とか総理大臣とか、もっと偉い人に頼んでよ!」
「それができるくらいなら、とっくにそうしとるわい。じゃがな、大人というのは、様々なしがらみに縛られておってな。なかなか、無垢な心を保つわけにはいかんのじゃ」
「無垢な心?」
「つまり、アホウということじゃ。アホウが世界を救うのじゃ」
「ア、 アホウ?い、今、わたしのこと、アホウって言った?」
むむむっ!このくそジジイ!おかしな変身ベルトを押しつけるだけでは飽き足らず、人のことをアホウ呼ばわりするとは、もう許せん!成敗してやる!
思わずつかみかかりそうになったソラの肩を後ろから両手でつかんで、セイジがなだめる。
「まあまあ、落ち着いて!ここは、老師様の言うことを聞いてやろうよ。こんな不思議な体験、この機会を逃したら、二度とやってこないぜ」
「そんなあ、他人事だと思って。それなら、自分が着ければいいじゃない」
「それが許されるなら、そうしたいくらいだよ。でも、おれじゃあ、だめなんですよね、老師様?」
老師様は、ふむと考えごとをしているような素振りを見せてから、「だめというわけでもないがのう」と続けた。
「だめというわけではないが、ソラの方が、より大きな効力を変身ベルトから引き出せると思うのじゃ。少なくとも、今はな」
なんだか、意味深な老師様の発言に、ソラも怒りの持って行く先を失う。
「絶対、着けないからね!」
「うん、それでいいよ」
セイジが優しくいなす。
「本当に着けないからね!」
「いやなら、いいんじゃない?いよいよとなったら、おれが着けるよ」
こういう時のセイジって、妙に懐が深い。家の鍵を無くした時もそうだったけど、急に大人びて見えるから困るのだ。
「ほれほれ、そんな不機嫌な顔しなさんな。今はわからなくとも、いずれ、その変身ベルトのすごさに気づく時が来る。とにかく、今はソラが持っていておくれ。この通り、わしからの願いじゃ」
「・・・・・」
老師様に頭を下げられて、ソラの鼻息も、幾分は収まったが、それでも、無理なものは無理なのだ。
世界の危機はともかく、あのパットマンというやつにだけはなりたくない。せめて、コスチュームが、アイドルみたいな最新ファッションとかだったら、考えてあげないこともなかったけど。
とにかく、こうして、ソラとセイジの「未知との遭遇」ならぬ「宇宙人との遭遇」事件(老師様が本物の宇宙人であるならだが)の初日が終わった。初日と断じてよいかどうかわからないけれど、「また連絡する」と老師様が言うからには、この続きがあるのだろう。
ソラとセイジは、与えられた変身ベルトを土産代わりに持って森から出たが、その後、フェラーリ君が飛び立つ姿は目撃しなかった。やっぱり、あのUFOは壊れているに違いない。
その前に、そもそもあの老師様は、本当に宇宙人なのだろうか?宇宙人って、あんなもの?あれじゃあ、地球人そっくりじゃない?